「セトゲー」というから「モバゲー」の一種かと思ったら、ちがっていた。瀬戸内は変化に富む多島美で知られているが、コンテンポラリー・アートが施されることで、美観はいっそう高まった。さらに、その作品を船を使って巡礼するという楽しみがあるのも魅力だ。そんな瀬戸芸(瀬戸内国際芸術祭)の4回目が2019年に開催されることとなった。先月31日の実行委員会総会で承認されたのだ。
本日は近年、「アートの島」として知られるようになった犬島を舞台に、芸術ではなく我が国の産業革命を語ろうと思う。
岡山市東区犬島に「犬島精練所跡」がある。かつてはただの廃墟だったが、今では犬島精練所美術館として外国からも観光客が訪れる名所となっている。
廃墟趣味というかなり専門的な分野がある。廃墟は言うなれば、平家物語の冒頭の如く「諸行無常の響き」「盛者必衰の理」を表す。これを楽しむのに必要なのはイマジネーション、かつて繁栄していた姿を想像する力である。
西洋芸術におけるロマン主義においても、廃墟をモチーフとした絵画が好まれた。繁栄していた古代ギリシア・ローマへの懐古趣味がそこにある。犬島における廃墟と現代美術との共存は、時の流れを可視化する試みとも言える。精錬所跡にたたずむと湧く感情は、ロマン主義の心性に似通っていないだろうか。
ここは明治42年から大正8年にかけて操業された銅の精錬所跡である。大正5年に作られた「犬島の歌」で、次のように歌われている。井上兼市『犬島の散歩道第三編』より
この美しき小島に 住む人実に三千人
雲に聳ゆる煙突は 藤田会社の精錬所
今も昔と同じように美しいが、「住む人実に」46人(平成29年2月末)である。「雲に聳ゆる煙突」の一つは美術館の一部として、煙突効果による空調の役目を果たしているという。そして精錬所を経営していた「藤田会社」は藤田伝三郎が創業した財閥で、鉱業で実績を上げていた。今ではDOWAホールディングスとなっている。犬島精練所は大正2年に買収した。
犬島精練所が操業を始めた明治42年(1909)は、重工業における産業革命期に当たる。銅価格は大正5年(1916)にピークを迎えたが、これは第一次世界大戦によるバブル、大戦景気であった。戦後の価格暴落により精錬所の操業はストップする。犬島精練所跡は日本産業史の縮図なのだ。
産業発展の裏面史として公害の問題がある。銅の精錬をしていた足尾で鉱毒が大問題となったが、犬島も同様だった。上記『犬島の散歩道第三編』に次のように記されている。
当時の思いを返せば亜硫酸瓦斯の煤煙は、濛々と人家をおそい、田畑、山林、庭木等に至るまで異状な被害を与え、島全体が枯れ木の山野と化した。住民の人体にも現在でいう公害をもたらした。
結果は田畑等の被害補償もしたが、仕舞いには人畜に対する被害の補償も要求されるに至り、銅の値段の暴落も相待って閉鎖の止むなきことにいたったのであらう。
このように廃墟には、ロマンだけでは語れない影の面があるのだ。栄枯盛衰も光も影も丸ごと受け入れて廃墟に立つとよい。産業の発展と私たちの暮らし、過疎の進行と観光の振興、さまざまなテーマで考えることができよう。小さな島で大きな思考ができるのだ。
ここでしか体感することのできないものが犬島にはある。どこでも持ち運びできるモバイルゲームの対極の楽しみ方ができるのだ。こうした空間との一体感が「セトゲー」の真骨頂と言えよう。
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