婚活パーティーに自治体が本気になっているのは、少子化に危機感を抱いているからである。かつては家族や地域、職場に「そろそろあなたも…」とお世話を焼く人がいたものだ。こうした結婚促進機能が低下した結果、お見合いや職場での出会いが少なくなり、晩婚化、少子化が進行したのである。
婚活パーティーという出会い系行事は、極めて現代的な特徴かと思っていたのだが、そうではないことが最近分かった。なんと古代からの伝統を引き継いでいたのである。
佐賀県杵島郡白石町の歌垣公園に「歌垣の万葉歌碑」がある。
有明海を望む高台にあって開放的な気分になる。訪れたのは夏だから緑一色だったが、春には桜とツツジが咲き誇り、とても美しいそうだ。歌碑には金字で万葉仮名が次のように刻まれている。
婀邏禮符縷 耆資麼加多塏塢 嵯峨紫彌台 區縒刀理我泥底 伊母我提塢刀縷(是杵島曲)
揮毫は万葉学者の澤瀉久孝(おもだかひさたか)である。この難しい漢字をどう読むのか。
あられふる きしまがたけを さかしみと くさとりかねて いもがてをとる(こは杵島曲〔きしまぶり〕なり)
「あられふる」は杵島の枕詞。「さがし」は「険し」と書いて山がけわしいこと。ここでは「さかし」と濁らない。とすると意味は「きしま山に登ろう。ん~、けっこうけわしいな。草をつかもう…。と思ったのに、握ったのは彼女の手だったよ」ということか。わざとだろ、と突っ込みたくなる。
歌碑の下部には、やはり金字で解説文がある。読んでみよう。
杵島曲はわが國古代民謡の曲名で、その歌詞は鎌倉の学僧仙覚の著「萬葉集抄」所引、逸文肥前風土記中に銘記されている。この曲を産んだ杵島山は常陸の筑波郡筑波山摂津の雄伴郡歌垣山と共に、古来日本の三大歌垣として著名であるが右文に據れば、「杵島郡県南二里有一孤山従坤指艮三峰相連是名杵島坤者曰比古神中者曰比賣神艮者曰御子神郷閭士女提酒抱琴毎歳春秋携手登望楽飲歌舞」と出で、全國的にも愛誦されたことは曲名歌詞がそれぞれ常陸風土記万葉集に登載されている事実によって明らかである。
そもそも歌垣の始原は男女が時の豊作を祈願し祝福した春秋二季の祭事歌合でここから和歌が発達しひいては日本文化の母胎ともなったものである。以上文学発祥の地として由縁の一角を卜し古き昔を偲び将來の文化高揚に資するために所傳の萬葉假名を以って刻み碑とする所以である。
昭和三十五年十一月 佐賀大学教授 中原勇夫
注目すべきは、この地が「日本三大歌垣」だということだ。歌垣とは何か。中世万葉集研究の第一人者仙覚の『萬葉集註釈』巻第三に記載されている「肥前国風土記逸文」によれば、「杵島郡では、役所の南方二里に独立峰があり、南西から北東に向かって三つの峰が連なっている。だから杵島と名付けられた。南西をヒコ神、中をヒメ神、北東をミコ神という。地元の男女は酒や琴を携えて毎年春秋に手を取り合って山に登り、飲んで歌って舞うのを楽しむ。」とある。
なんだか楽しそうだ。この時謡われたのが「あられふる…」の「杵島曲」であった。この曲は全国的に流行したようで、『常陸国風土記』(行方郡)には「杵島曲」を七日七夜歌い舞ったことが記され、『万葉集』(巻三雑歌385)には歌が採録されている。
また『古事記』(仁徳記)には「梯立の 倉椅山を 嶮しみと 岩懸きかねて 我が手取らすも」という歌がある。「くらはし山に登ろう。はしごを立てたようにけわしいぞ。岩をつかめばいいのに、彼女は私の手にすがってきたよ」ということだ。勝手にやってくれ。
このように若い男女がワイワイと楽しく山に登る風習があったのだろう。酒を呑んで歌い踊れば、調子も出てこよう。このブログでも大和の「海石榴市(つばいち)」の歌垣を紹介したことがある。古代歌垣に集う男女は歌を詠み交わしていたが、現代の婚活ではメールを交換するそうだ。いずれにしても、恋にかけひきが必要なことは変わりがない。