世界最長寿の木は、スウェーデンのオウシュウトウヒで樹齢9,950年だという。どんな巨樹かと興味が高まるが、写真を見ると「?」としか思えない。どうやら古いのは根の部分らしい。樹齢何千年というからには、やはりドーンとした姿を拝みたいものだ。
巨樹を前にしたときの圧倒的な迫力は、おそらく生命の息吹のせいだろう。本日は大きなクスノキを紹介する。以前に「巨大なクスノキ、偉大な楠木」で「四條畷楠木正行墓のくす」を紹介したことがある。その巨大さには驚かされたが、今回のはもっとすごい。
武雄市若木町川古(かわご)に「川古のクス」がある。国指定天然記念物である。
独立樹のため美しい樹形が青空に映える。その大きさは? 樹齢は? 気になることが多いので、武雄市教育委員会の説明板(H16)を読んでみよう。
幹周 二十一メートル
樹高 二十五メートル
根周り三十三メートル
佐賀県の各地に楠が栄えていたことは「肥前国風土記」によっても知られていますが、その最大のものが川古のクスです。
全国巨樹・巨木林調査では、福岡県築城町本庄の大楠とともに五番目の大きさを誇る巨木です。
別の説明板には樹齢3000年以上とあり、全国第5位だという。『肥前国風土記』(佐嘉郡)の記述はこうだ。
昔者(むかし)、樟(くす)の樹一株(ひともと)この村に生ひたりき。幹技(もとえ)秀(ひ)でて高く、茎葉繁茂(しげ)り、朝日の影は、杵島の郡の蒲川(かまかは)山を蔽(おほ)ひ、暮日(ゆふひ)の影は、養父の郡の草横(くさよこ)山を蔽へりき。
この地にやってきたヤマトタケルは、超巨大なクスノキが茂り栄えているのを見て、「この国は栄(さか)といふべし」と言った。これが「佐賀」の地名由来である。
朝日と夕日の影で木の大きさを表すことは「うきはの由来は盃?葉っぱ?」でも紹介したように、古代説話にはありがちなパターンだ。
武雄は杵島郡だから、本日紹介の大楠は風土記が語るクスノキではないが、このあたりに巨樹説話が発生するような環境があったことは間違いないだろう。
武雄市武雄町大字武雄に「武雄の大楠」がある。市指定天然記念物である。
武雄神社の奥に広がる木々に守られながら大楠が鎮座している。あたりは荘厳で神秘的な雰囲気に包まれている。武雄市教育委員会の説明板(H2)を読んでみよう。
幹周 二十メートル
樹高 三十メートル
武雄神社の御神木といわれる大楠である。樹根の部分に十二畳敷の空洞があり、中に天神様を祀る。
平成元年、環境庁による全国巨樹・巨木林調査で、全国第六位の巨木であると発表された。県内でも第二位の巨木であり、武雄を代表する樹のひとつである。
ここにも樹齢は示されていないが、別の説明板によると推定樹齢3000年だそうだ。我が国を代表するクスノキが、武雄市に2本もあることに驚かされる。だが、これで話は終わらない。もう1本巨木があるという情報を得たので現地に向かった。
武雄市武雄町大字武雄の武雄市文化会館近くに「塚崎の大楠」がある。市指定天然記念物である。
この巨木も街中にありながら、しばらく歩かないと見ることはできない。武雄領主後藤氏の居城、塚崎城の一部である。武雄市教育委員会の説明板(H29)には、次のように記されている。
塚崎の大楠は、武雄を代表する巨樹の一本です。巨樹・巨木調査の時の大きさは幹周り十三.六メートル、樹高十八メートル、枝張り東西十八メートル、南北十五メートルで、佐賀県下第三位でした。幹の部分はほぼ樹皮のみになっており、推定樹齢は二〇〇〇年です。
十八世紀後半に作成された『武雄城下屋敷図』には、(武雄神社の)「三ノ宮」の文字と立派な枝ぶりの大楠が描かれています。しかし、昭和三十八年に落雷に遭い、木の上の部分が九メートル以上失われてしまいました。
空洞になっている幹の部分に入ると、二千年の歴史が私を見下ろしていた。この巨木は長い歳月その成長をやめず、落雷という重大事故にも耐え抜いた。少々おどろおどろしい姿に見えるが、実に生きる力を体現している。私は幹の中心で頭を垂れた。
本日紹介した武雄市のクスノキは、佐賀県の巨樹ベストスリーでもある。武雄の気候や土壌がクスノキに適しているのか、市当局の環境保護がしっかりしているのか。それとも、地元の方々が大切に守り育ててきたからだろうか。自然と人との共生、そのモデルを見たような気がした。
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