人生で初めて買った古典が新学社文庫『今昔物語集・宇治拾遺物語』だ。学校の斡旋で買ったから、金を出してくれたのは親だ。今は手元にないので、本日紹介の説話が載っていたか定かでない。今回記事を書くにあたって熟読すると、あまり子ども向けではないようだ。本日はその説話の舞台を訪ね、猿の人形が奉納されるという珍しい神社を紹介する。
津山市一宮の中山神社の境内に「猿神社」がある。
ここが説話の舞台だ。さっそく宇治拾遺物語巻十ノ六「吾嬬人(あづまびと)生贄(いけにへ)を止むる事」を読み進めることとしよう。
今は昔、山陽道美作国に中山(ちうざん)、高野(かうや)と申す神おはします。高野はくちなは、中山は猿丸にてなんおはする。その神年ごとの祭に、必ず生贄(いけにへ)を奉る。人の女(むすめ)の容貌(かたち)よく、髪長く色白く、身なりをかしげに姿らうたげなるをぞ、選び求めて奉りける。昔より今に至るまで、その祭怠り侍らず。
むかしのことである。山陽道の美作国に、中山と高野という神様がいらっしゃった。その実体は、高野はヘビで、中山はサルだった。地元の村では毎年欠かさず、いけにえに捧げるため、髪の長い色白の美人を選んでいた。
それにある人の女、生贄にさしあてられにけり。親ども泣き悲しむ事限りなし。人の親子となる事は前(さき)の世の契りなりければ、怪しきをだにもおろかにやは思ふ。まして万(よろづ)にめでたければ、身にも優りておろかならず思へども、さりとて逃るべからねば、歎きながら月日を過す程に、やう/\命つゞまるを、親子と逢ひ見ん事今幾許(いくばく)ならずと思ふにつけて、日を数へて、明暮(あけくれ)は唯ねをのみ泣く。
この年もいけにえにする娘が決まった。親はどれほど嘆き悲しんだことか。親子の絆は前世からの約束で、醜い子であってもおろそかに思う親はいない。ましてや、これほどの美しい娘である。自分の身に代えてもと思うのだが、逃げようもない。あとどれくらい親子で顔を合わせていられるかと、毎日泣きながら暮らしていた。
かかる程に、東(あづま)の人の狩といふ事をのみ役として、猪といふものの、腹立ち叱りたるはいと恐ろしきものなり。それをだに何とも思ひたらず、心にまかせて殺し、取り喰ふ事を役とするものの、いみじう身の力つよく、心猛くむくつけき荒武者のおのづから出で来て、そのわたりに立ちめぐる程に、この女の父母の許に来にけり。物語するついでに、女の父のいふ様(やう)「おのれが女(むすめ)の唯一人侍るをなん、かう/\の生贄にさしあてられ侍れば、思ひ暮し歎き明してなん、月日を過し侍る。世にはかかる事も侍りけり。前(さき)の世に如何なる罪をつくりて、この国に生まれてかかるめを見侍るらん。かの女子も、『心にもあらず、浅ましき死をし侍りなんずるかな。』と申す。いと哀れに悲しう侍るなり。さるはおのれが女とも申さじ、いみじう美しげに侍るなり。」といへば、東(あづま)の人、「さてその人は、今は死に給ひなんずる人にこそはおはすれ。人は命にまさる事なし。身の為にこそ神もおそろしけれ。この度の生贄を出さずして、その女君を自らに預けたぶべし。死に給はんも同じ事にこそ坐(おは)すれ。いかでか唯一人もち奉り給へらん御女を、目の前に生きながら膾(なます)に作り、切り広げさせて見給はん。ゆゝしかるべきことなり。さるめ見給はんも同じ事なり。唯その君を我に預け給へ。」と、懇切(ねんごろ)にいひければ、実(げ)に目の前にゆゝしきさまにて、死なんを見んよりはとて取らせつ。
こうしているうち、東日本出身だという男が娘の両親のもとに現れた。この男は狩人で、恐ろしいイノシシをものともせず殺して食うという、めっぽう強い荒武者だった。父親は狩人に
「たった一人の娘をいけにえにせねばならぬとは、と嘆き暮らしております。この世でこんなつらい目に合うなんて、前世でどんな罪を犯したというのでしょう。娘は親とは違って、あまり取り乱してはおりませぬが、『こんなひどい死に方をするなんて』ともらします。それはもう不憫で不憫で…。」
と話すと、狩人は
「娘さんが死ぬことになっているのだね。人に命より大切なものはない。恐ろしく思うのは当然だ。ここは私に任せてくれ。いけにえに娘を出さずに私にくれ。このままでは死んでしまうのだから同じだろう。娘を目の前で切り刻まれるなんて、とんでもないことだ。さ、娘さんを私へ。」
と言って助けようとしてくれる。確かに目の前で娘が死ぬのを見るよりはましだと思って、父は娘を狩人に預けた。
かくて東人、此の女の許に行きて見れば、かたちすがたをかしげなり。あいぎやうめでたし。もの思ひたる姿にて、寄りふして手習をするに、涙の袖の上にかゝりてぬれたり。かかるほどに人のけはひのすれば、髪を顔にふりかくるを見れば、髪も濡れ顔も涙に洗はれて、思ひ入りたる様なるに、人の来たれば、いとゞつゝましげに思ひたるけはひして、少しそばむきたる姿、誠にらうたげなり。凡(およ)そけだかくしな/\しう、をかしげなる事、田舎人の子といふべからず。東人(あづまびと)これを見るに、悲しき事いはん方なし。
狩人が娘に会ってみると、それはそれはかわいらしい女だった。物思いにふけって歌を詠んでいると、涙が袖の上に落ちる。人の来る気配がすると、恥ずかしげに下を向く姿は、実に愛らしい。気品があって田舎娘とは思えない。狩人の心には、娘への愛情が深く刻まれた。
さればいかにもいかにも我が身なくならばなれ、唯これに代りなんと思ひて、この女の父母にいふやう、「思ひ構ふることこそ侍れ、若しこの君の御事によりて滅びなどし給はば、苦しとやおぼさるべき。」と問へば、「この為に、自らはいたづらにもならばなれ、更に苦しからず。生きても何にかはし侍らんずる。ただ思(おぼ)されんまゝに、いかにも/\し給へ。」と答(いら)ふれば、「さらばこの御祭の御きよめするなり。」とて、しめ引きめぐらして、「いかにも/\人な寄せ給ひそ。又これにみづから侍りと、な人にゆめ/\知らせ給ひそ。」といふ。さて日頃籠り居て、この女房と思ひ住む事いみじ。
こうなったなら、我が身はどうなってもよい、身代わりになってやろうと思い、
「お伺いしますが、親が子のために命を落とさねばならぬ時、つらいとお思いになるでしょうか」
と狩人が聞くと
「我が子のためなら、自分はどうなっても構いません。生きていても何の甲斐がありましょう。あなたにお任せしますから、思うようになさってください。」
と両親は答えた。そこで狩人は
「では、さっそくお清めから始めよう。」
と注連縄をめぐらし
「絶対に人を寄せ付けてはなりませぬぞ。私がいることも絶対に知らせてはなりませぬぞ。」
と言った。そして数日籠って、娘とむつまじく暮らした。
かかる程に、年頃(としごろ)山に使ひ習はしたる犬の、いみじき中に賢きを二つえりて、それに生きたる猿丸を捕へて、明暮やく/\と食ひ殺させて習はす。さらぬだに猿丸と犬とは敵(かたき)なるに、いとかうのみ習はせば、猿を見ては、躍りかゝりて食ひ殺す事限りなし。
その後、山で飼いならしたイヌのうち優秀なのを二匹選んで、生きたサルを食い殺させる訓練を重ねた。そうでなくても犬猿の仲だから、イヌはサルを見ると襲いかかって食い殺すようになった。
さて明暮はいらなき太刀をみがき、刀をとぎ、剣を設けつゝ、唯このめの君とことぐさにするやう、「哀れ前(さき)の世に如何なる契りをして、御命に代りていたづらになり侍りなんとすらん。されど御かはりと思へば、命は更に惜しからず。唯別れ聞えなんずと思ひ給ふるが、いと心細く哀れなる。」などいへば、女も、「誠に如何なる人のかく坐(おは)して、思ひ物し給ふにか。」と言ひ続けられて、悲しう哀れなることいみじ。
さて、毎日上等な太刀を磨いて刀を研ぎ剣を用意しながら、娘と会話するのは
「前世にどのような約束があって、あなたの身代わりになるというのか。命は惜しくないが、あなたと別れるのが寂しい。」
「ほんとうに、このようなお方がいらして、私のことを思ってくださるなんて」
という具合で、悲しく哀れなことであった。
さて過ぎ行く程に、その祭の日になりて宮司(みやづかさ)より始め、万の人々こぞり集まりて、迎へにのゝしり来て、新しき長櫃を、此の女の居たる所にさし入れていふやう、「例のやうにこれに入れて、その生贄出されよ。」といへば、この東人、「唯このたびの事は、自らの申さんまゝにし給へ。」とて、この櫃に密(みそ)かに入りふして、左右の側(そば)にこの犬どもを取り入れていふやう、「おのれらこの日頃、いたはり飼ひつるかひありて、このたびの我が命に代れ、おのれらよ。」といひて、掻き撫づれば、うちうめきて、脇にかいそひて皆伏しぬ。又日頃とぎ磨きつる太刀、刀、皆取り入れつ。さて櫃の蓋を掩ひて、布してゆひて封つけて、我が女(むすめ)を入れたるやうに思はせてさし出しだしたれば、鉾、榊、鈴、鏡を振り合はせて、前(さき)おひ訇(のゝし)りて持て参る様(さま)いといみじ。
こうしているうちに祭りの日が来て、宮司を始めたくさんの人ががやがやと集まった。新しい長櫃が娘のいるところへ運ばれ
「毎年するように、これに娘を入れて、いけにえとして差し出すように」
と言われたが、狩人は
「今回は私の思うようにさせてもらう」
と、この櫃にひそかに入り、左右にイヌを置いて
「おまえら、日頃から可愛がってやってんだから、オレの命を守ってくれよ。たのむぜ。」
と言ってなでてやると、クーンとうめいて櫃に伏せた。準備した太刀や刀を入れてふたをし、布をかぶせてひもでくくり、娘を入れたように見せかけて置いておくと、鉾、榊、鈴、鏡を振りながらものものしく運ばれていった。
さて女これを聞くに、我に代りてこの男のかくしていぬるこそいと哀れなれと思ふに、又不意に事出でこば、我が親たちいかにおはせん、とかた/‶\に歎き居たり。されども父母のいふやうは、「身の為にこそ神も仏も恐ろしけれ、死ぬる君の事なれば、今は恐ろしき事もなし。同じ事をかくてをなくなりなん。今は滅びんも苦しからず。」と言ひ居たり。かくて生贄を御社に持て参り、神主祝詞(のと)いみじく申して、神の御前(おまえ)の戸を開けて、この長櫃をさし入れて、戸を元のやうにさして、それより外の方に、宮司を始めて、次々の司ども次第に皆列び居たり。
娘はこれを聞いて、自分の身代わりとなって行ってしまった男を思えばつらくなり、不測の事態となって両親の身に何かあっては、とあれこれ思い悩んでいた。けれども両親は
「命が惜しいから、神や仏が恐ろしく感じる。娘を失った今、私たちの命もないに同じ。もう死んでもかまいません。」
と言っていた。こうしていけにえが神社に運び込まれると、神主が祝詞を重々しくあげ、本殿の戸を開けて長櫃を差し入れ、戸を元のように閉じると、宮司をはじめ神官が順に並んだ。
さる程にこの櫃の刀の先して密(みそ)かに穴を開けて東人見ければ、誠にえもいはず大きなる猿の、長(たけ)七八尺許りなる、顔と尻とは赤くして、むしり綿を著たるやうにいらなく白きが、毛は生ひあがりたる様(さま)にて、横座により居たり。次々の猿ども左右に二百許り竝(な)み居て、様々に顔を赤くなし、眉を上げ、声々になき叫び訇(のゝし)る。いと大きなる俎(まないた)に長やかなる庖丁刀を具して置きたり。めぐりには、酢、酒、塩入りたる瓶どもなめりと見ゆる数多(あまた)置きたり。
いっぽう櫃の中の狩人は、刀の先で少し穴を開けて外を見ると、ありえないような大きさのサルが正座していた。七~八尺ぐらいはあろうか、真っ赤な顔と尻をして、ふさふさの白い毛の大ザルである。子分のサルどもが二百匹ぐらい並び、顔を赤くして眉をつり上げ、キャーキャー叫んでいる。そして、大きなまな板の上には長い包丁が置かれ、酢、酒、塩を入れたと思われる瓶がたくさん並んでいた。
さて暫し許りある程に、此の横座に居たるをけ猿寄り来て、長櫃の結緒(ゆひを)を解きて、蓋を開けんとすれば、次々の猿ども皆寄らんとする程に、この男、犬どもに、「食へおのれ。」といへば、二つの犬躍り出でて、中に大きなる猿を食ひて、打伏せて引きはりて、食ひ殺さんとする程に、この男髪を乱りて櫃より躍り出でて、氷の様(やう)なる刀を抜きて、その猿を俎の上に引伏せて、首に刀を当てていふやう、「わおのれが人の命を絶ち、その肉(しゝ)むらを食ひなどするものはかくぞある、おのれ等うけたまはれ、慥(たし)かにしやくび斬りて、犬に飼ひてん。」といへば、顔を赤くなして目をしばたゝきて、歯を真白に喰ひ出して、目より血の涙を流して、誠に浅ましき顔つきして、手を摺り悲しめども、更にゆるさずして、「おのれが若干(そこばく)の多くの年頃、人の子どもを喰ひ、人の種を絶つかはりに、しやくび斬りて捨てん事、只今にこそあめれ。おのれが身さらば我を殺せ、更に苦しからず。」と言ひながら、さすがに首をば頓(とみ)に切りやらず。さる程に此の二つの犬どもに追はれて、多くの猿ども皆木の上に逃げ上り惑ひ騒ぎ叫びのゝしるに、山も響きて地もかへりぬべし。
しばらくすると、正座していた大ザルが近付き、長櫃のひもを解いてふたを開けようする。子分のサルもみな集まってきた。そこで狩人は二匹のイヌに
「食ってまえ」
と命じると、イヌは飛び出して大ザルにかみつき、引き倒して食い殺す勢いだ。そこへ狩人が大ザルの首に氷のような刀をあて
「お前が人の命を奪って、その肉を食うと言うなら、こうしてくれる。よく聞け、この首切ってイヌに喰わしてやるわ。」
と言うと、大ザルは真っ赤な顔をさらに赤くし、真っ白な歯を見せて、血の涙を流しながら目をぱちぱちさせた。見苦しい顔つきで手をすり合わせて命乞いをしたが、狩人は許さず
「おまえらが長年にわたって人の子どもを喰らい命を奪ってきた代償に、首が斬り捨てられるのは、まさに今だ。お前が本当の神なら、私を殺すがよい。かまわんぞ。」
と言いながら、すぐには首を斬ろうとしない。そうしてるうちに、二匹のイヌに追われて多くのサルが木の上に逃げギャーギャー騒いだので、天地が鳴動した。
かかる程に、一人の神主の神つきていふやう、「今日より後、更に更にこの生贄をせじ、長く留めてん。人を殺す事懲りとも懲りぬ。命を絶つ事今より長くし侍らじ。又我をかくしつとて、此の男とかくし、又今日の生贄に当りつる人のゆかりを、領じ煩はすべからず。あやまりて其の人の子孫の末々にいたるまで、われ守りとならん。唯疾く/\この度の我が命を請ひ受けよ、いとかなし、我を助けよ。」と宣へば、宮司神主より始めて、多くの人共驚きをなして、皆社の内に入り立ちて、騒ぎあわてて手を摺りて、「道理(ことわり)おのづからさぞ侍る、唯御神にゆるし給へ、御神もよくぞ仰せらるゝ。」といへども、この東人、「さなすかされそ、人の命を絶ち殺すものなれば、きやつに物の侘しさ知らせんと思ふなり、我が身こそあなれ、唯殺されん苦しからず。」といひて更に免(ゆる)さず。
すると、ひとりの神主が憑依して
「今日からは、いけにえを求めることは、もう絶対にいたしません。人殺しはもうこりごりです。命を奪うなど、もってのほかです。私がこんな目に遭ったからといって、この男に復讐したり、いけにえに決まっていた娘と両親にとりついて困らせたりいたしません。子々孫々に至るまで守り神となりましょうぞ。ですから、早く私の命をお救いください。頼むから助けてください。」
と言うと、宮司をはじめ皆が社殿に入り、あわてて手をすり合わせ
「まったくその通りでございます。ああ、お許しください。よくぞおっしゃってくださいました。」
と言ったが、狩人は
「だまされてはならぬ。人の命を奪ってきたのだから、こいつに本当のつらさを教えてやろう。私は殺されてもかまわない。」
と許そうとしなかった。
かかる程に、この猿の首は斬り放たれぬと見ゆれば、宮司も手惑ひして誠にすべき方なければ、いみじき誓言(ちかごと)どもを立てて、祈り申して、「今より後はかかること、更に/\すべからず。」など神もいへば、「さらばよし/\、今より後はかかることなせそ。」と言ひ含めて免(ゆる)しつ。扠(さて)それより後はすべて人を生贄にせずなりにけり。
そして、大ザルの首が斬られようとするのを見て、宮司はあわてて
「これからは、このようなことは絶対にいたしませぬ。」
と神と共に誓ったので、
「ならば許そう。これからは絶対にしてはならぬぞ。」
と言いふくめて許してやった。それから後、人をいけにえにすることはなくなったのである。
さて其の男家に帰りて、いみじう男女あひ思ひて、年頃の妻夫(めをと)になりて過(すぐ)しけり。男は元より由縁(ゆゑ)ありける人の末なりければ、口惜しからぬ様(さま)にて侍りけり。その後はかの国に猪鹿をなん生贄にし侍りけるとぞ。
狩人は家に帰って、娘と仲睦まじい夫婦となって暮らした。狩人はやんごとなき人の末裔だったので、人がうらやむような様子だった。その後、美作国ではイノシシやシカをいけにえにするようになったということだ。
神に扮していたバケモノはついに退治された。そんな大ザルを憐れんで「猿神社」ができたのだろう。改心した大ザルは今、安産の神様として崇敬されている。願いがかなったなら、赤いサルのぬいぐるみを奉納するそうだ。
中山神社の一番奥にある小さな社だが、ここには壮大なスペクタクルが秘められていた。その物語は何百年も語り伝えられてきたのである。猿神社のパワーたるや、尋常ではなさそうだ。