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2008/08/23

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玉山

詳しい情報をご提供いただきまして、ありがとうございます。神社の存在は何らかの史実を反映しているのでしょうね。地元の方々が伝承を大切に継承してこられたことに敬意を表したいと思います。

きのこ

はじめまして。「ゲセヰ」とは芸西村と関係がありそうと思いますがどうでしょうか。芸西は「キシ」と読んだのではないでしょうか。芸西村の和食(フシ/フジ=布師)には紀姓坂本臣と、同族(武内宿禰の後裔)の布師氏が住んでいたようで、王子宮で坂本権現を祀っていたようです(現在は奈半利町にある坂本神社の論社)。坂本神社が最初に記録に現われるのが866年5月、応天門の変が866年4月ですから、偶然ではないのかもしれません。坂本臣は讃岐に多く居たようなので、紀夏井が流罪になったと聞き力になりたくて、芸西村に移って来たのではないかと私は想像しています。無視できるはずがないからです。香南市からは20km弱です。
余談ですが紀貫之は奈半郷(北川村)に居る親戚の武内家を訪れており、そこの女性との間にできた息子の子孫が紀氏として最近まで住んでおられたようです。紀貫之は866年に生まれています。紀夏井と何か縁があるのかもしれません。

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