『平家物語』の中でも,妓王・妓女の物語は諸行無常あるいは盛者必衰の理をよく表す。二人は姉妹で京・堀川の白拍子であった。平清盛の寵愛を得て優雅な日々を送っていたが,やがて清盛の心は若い仏御前に傾いてしまう。世の無常を嘆いた姉妹は嵯峨野に庵を結び仏門に入ったという。
神戸市兵庫区島上町2丁目の経島山来迎寺(築島寺)に「清盛寵妾妓王妓女塔」がある。
二つ並んだ小さな五輪塔は,かの姉妹を供養するに相応しい。嵯峨野に隠棲していた姉妹とその母刀自のもとに,尼の姿になった仏御前が訪ねて来て,次のように語った。『平家物語』を読んでみよう。
「かやうにさまをかへて参りたれば,日頃のとがをば許し給へ。『許さん』とだに仰せられば,もろともに念仏して,一つ蓮の身とならん。それにもなほ心ゆかずは,これよりいづちへも迷ひ行き,いかならん苔の莚,松が根にも倒れ伏し,命のあらん限りは念仏して,往生の素懐を遂げん」
とて,袖を顔におしあてて,さめざめとかき口説けば,妓王涙を押さへて,
「わごぜのこれほどまで思ひ給はんとは夢にも知らず,憂き世の中の性なれば,身の憂きとこそ思ふべきに,ともすればわごぜの事のみ恨めしく,往生の素懐遂げん事かなふべしともおぼえず。今生も後生も,なまじひにし損じたる心地にてありつるに,かやうに様をかへておはしたれば,日頃の咎は,露塵ほども残らず,今は往生疑ひなし。このたび素懐を遂げんこそ,なによりもまた嬉しけれ。わらはが尼になりしをこそ,世に有り難き事のやうに人もいひ,我が身も思ひしが,今わごぜの出家に比ぶれば,事の数にもあらざりけり。されどもそれは世を恨み,身を恨みてなりしかば,様をかふるも理なり。但しわごぜは恨みもなし,歎きもなし。今年はわづかに十七にこそなる人の,これほどまで穢土をいとひ,浄土を願はんと,深く思ひ入り給ふこそ,まことの大道心とはおぼえ候ひしか。嬉しかりける善知識かな。いざもろともに願はん」
とて,四人一所に籠りゐて,朝夕仏前に花香を供へ,余念なく願ひけるが,遅速こそありけれ,四人の尼どもみな往生の素懐を遂げけるとぞ聞こえし。
さればかの後白河法皇の長講堂の過去帳にも,妓王,妓女,仏,とぢ等が尊霊と,四人一所に入れられけり。あはれなりし事どもなり。
来迎寺の寺伝によると,平家が壇の浦で敗れたのち,平家ゆかりの八棟寺(来迎寺の末寺)に住持し一門の菩提を弔ったということだ。妓王たちの史跡は,京都市(祇王寺),野洲市(妓王寺),福井市(祇王祇女屋敷跡),小松市(仏御前の墓)と各地に伝わる。ここを訪う人々は,遠い昔に生きた女性に思いを馳せながら諸行無常を感じてきたのだろう。
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