峠に雨が降る。同じ雨雲から落ちてきた水滴なのだが、峠のこちらと向こうでは流れる方向が異なる。流れて別の川となり、それぞれに大きな川に合流し、別々の海に流れ出る。こうした尾根筋を分水嶺というが、ここは古来から特別視されてきた場所であった。一義的には農耕において、水がどちら側に多く流れるかは死活問題となる。さらには、雨粒の行く末を人生に置き換えると、分水嶺は重大な岐路なのであった。
広島県山県郡北広島町中原峠ヶ谷(たおがたに)に「陰陽分水嶺」がある。
写真で右方向へ流れると、太田川水系西宗川に入り瀬戸内海へ出ていく。左方向へ流れるなら、江の川水系志路原川に入り日本海へと向かう。石碑には「標高509m」と「山県郡豊平町中原」との文字も刻まれている。豊平町は平成17年に合併によって消滅した。
日本列島は東西の文化の違いから糸魚川静岡構造線のあたりで分けることも可能だが、細長く日本海(東シナ海)側と太平洋(瀬戸内海)側とに分けることも可能だ。いわば日本列島は一連なりの山並みであり、その尾根筋が分水嶺となっているのだ。
その分水嶺を紹介したのが、堀公俊『日本の分水嶺 地図で旅する列島縦断6000キロ』(山と渓谷社)である。この本には次のような重要な指摘がある。
分水嶺を表す標識や石碑は、あるところには集中してあり、広島県は岐阜県と並ぶ密集地帯となっている。
これは、この地方の人々が農業用水を確保することを強く意識してきたことによるものなのか、地理的な事象に関心の高い土地柄なのか、別れゆくものを惜しむ人情に厚いからなのか。広島県内には「泣き別れ」(安芸高田市向原町)という分水界もある。サヨナラだけが人生であった。
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