ヒーローに欠かせないのは好敵手である。星飛雄馬には花形満、川上哲治には藤村富美男、松山ケンイチには玉木宏、1年前なら通じたボケだった。これは平清盛には源義朝であった。虚実の境界なく列挙したが、緊張感のある物語の展開には好敵手を欠かすことができない。それゆえ、佐々木小次郎あっての宮本武蔵なのである。
岩国市横山二丁目に「剣豪佐々木小次郎の像」がある。
この像、宮本武蔵の武骨なそれより、カッコよさで勝っている。作者は村重勝久という地元の彫刻家である。説明の碑文があるので読んでみよう。
「祖先以来、岩国の住、姓は佐々木といい、名は小次郎と親からもらい、また剣名を“巌流”ともよぶ人間は、かくいう私であるが・・・・・」
吉川英治氏の小説「宮本武蔵」の一節である。
当地では、古くから佐々木小次郎が、ここ錦帯橋畔において、柳の枝が燕を打つのを見て、燕返しの剣法「巌流」を自得したと言伝えられている。
カッコいい佐々木小次郎は昔から存在していたわけではなく、浮世絵にはヒゲ面の中年剣士の小次郎が描かれている。涼しい顔立ちの少年剣士のイメージは吉川英治によって生み出されたようだ。
改めて上の写真を見よう。まず、刀が長い。備前長船長光、通称は物干竿(ものほしざお)である。その刀を持つポーズに注目だ。この姿勢から立つと同時に上方へ弧を描くように手を繰り出すと、刀は下から切り上げる動きとなる。「秘剣つばめ返し」というのがこれだろう。実戦的なのかよく知らないが、袈裟切りより絵になるのは確かだ。
そのつばめ返しを考案したのが、この「巌流ゆかりの柳」であったという。説明板を読んでみよう。
佐々木巌流小次郎は宮本武蔵との勝負に敗れましたが、小次郎の『つばめ返し』の剣法は天下無双であったということです。
吉川英治氏は小説『宮本武蔵』のなかで、岩国で産まれた小次郎は、母から家伝の長光の刀(一名物干し竿)を授かり、この辺りの柳とつばめを相手に独りで工夫し、努力を重ね、遂に『つばめ返し』の術を編み出したと記しています。
こうして史跡を目の前にすると、佐々木小次郎がここで剣術を磨いていたかのように感じるが、おそらくはフィクションだ。小次郎の生地として江戸時代から伝えられているのは、越前浄教寺(福井市浄教寺町)である。岩国生まれと伝える古い文献はない。やはり吉川英治の創作による虚像であろう。
吉川の描くストイックな小次郎像が、錦帯橋畔の柳を欲したのかもしれないし、岩国の風景が小次郎のイメージを創出したのかもしれない。
伝説の剣豪に史実もフィクションも関係ない。人々がその人物をどのように受容したのかが問われている。多くの人がそう思えば、「そうだった」ことになるのだ。その意味でカッコいい小次郎像が岩国に存在する意義はたいへん大きい。
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