横綱日馬富士の暴行事件から貴乃花親方の引退騒動まで、最近の大相撲はトラブル続きの感があるが、ゴタゴタは今に始まったことではない。
大正十二年(1923)1月には、東京相撲の力士たちが待遇改善を要求してストライキを起こした。三河島事件である。続いて5月、大阪相撲でも同様なストライキが発生した。こちらは龍神事件という。
三河島事件では、第26代横綱大錦が責任を取って廃業してしまった。龍神事件でも、大関を筆頭に多くの力士が土俵を去り、幕内力士が半減するという異常事態となった。
宍粟市波賀町原に「大関朝日嶽留蔵之碑」がある。揮毫は23代木村庄之助で、昭和43年の建立である。
朝日嶽留蔵は、大阪相撲で大関にまで昇進した強豪力士(三保ヶ関部屋)だった。名行司木村越後の付け人として相撲人生をスタートした。ちなみに、揮毫の23代庄之助は越後の弟子である。
朝日嶽は優勝2回、大関を大正十年(1921)に一場所だけ務め、同十二年に龍神事件の責任を取って廃業した。少年時代はどんな様子だったのか。近くの説明板では、次のように紹介されている。
朝日嶽留蔵は、明治二十二年当時奥谷村原、幸福嘉蔵の三男として生を享けた。
家は代々酒造り販売を業としていたが、祖父の代に倒産、その後林業に転じ留蔵も家事を手伝っていた。その頃この土地では山を主にした仕事が殆どであった。留蔵は片道六キロの山道を十七キログラムの木炭四俵を背負って厳しい作業に果敢に挑んでいく中に、強靭な足腰と強い腕力が作られていった。
幸福(こうふく)という名字は珍しく素敵だが、この村には何軒もいらっしゃるようだ。廃業後は、現役時代のスポンサー企業鴻池組で働き、昭和47年に86歳で亡くなった。
大横綱だった花田光司氏は、これからどうするのだろうか。政界進出のうわさは本人が完全に否定しているが、スター性のある方だけに周囲が放ってはおかないだろう。
だが、変な誘いに乗ることなく、相撲の普及活動に専念してほしいと思う。そして、朝日嶽のような強靭な若者を育て、大相撲の未来を支えていただきたいと願っている。
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