旅と文学は互いを高めあう存在である。旅が詩を生み、詩が旅情をかき立てる。人生そのものが旅のような林芙美子は、各地の美しい風景を情感豊かに描写した。『放浪記』の有名な一節「海が見えた。海が見える。」で始まる尾道の景色は、今も山陽線で体感できる。
このブログでは以前に、南房総市の「めがね橋」を採り上げた。日常的な風景だが、林芙美子が描くと桃源郷のように美しさを増す。本日は、芙美子の父ゆかりの小さな山を紹介しよう。
西条市上市に「林芙美子文学碑」がある。傍の標柱には「林芙美子が祖父の葬儀の際立ち寄った佐志久山」と書かれている。
芙美子は宮田麻太郎と林キクの子として、明治三十六年(1903)に九州の門司に生まれた。父の宮田麻太郎は、愛媛県周桑郡吉岡村の農業宮田惣助の長男であった。母の林キクは、鹿児島県桜島で兄が経営する古里温泉を手伝っていた時に麻太郎に出会った。
祖父である宮田惣助の葬儀があったのは、大正十年(1921)5月のこと。芙美子は尾道からひとりでここへ来たという。芙美子は父親から認知されない私生児だったが、関係は悪くなかったようだ。
石碑には「帰郷」と題した詩と解説文が刻まれている。まずは解説を読んでみよう。
芙美子はここ佐志久山の頂きに立ち父の古里を見渡し城ヶ島の雨を口ずさんだ
後々まで芙美子の心に残り彼女の作品にも少なからず影響したことであろう
平成十二年二月吉日 アトリエしまなみグループ建立 近藤哲夫書
「城ヶ島の雨」は北原白秋作詞の流行歌である。「帰郷」は昭和四年刊行の詩集『蒼馬を見たり』に収められている。読んでみよう。
「帰郷」
古里の山や海を眺めて泣く私です
久々で訪れた古里の家
昔々子供の飯事に
私のオムコサンになつた子供は
小さな村いつぱいにツチの音をたてゝ
大きな風呂桶にタガを入れてゐる
もう大木のやうな若者だ。崩れた土橋の上で
小指をつないだかのひとは
誰も知らない国へ行つてゐるつてことだが。
小高い蜜柑山の上から海を眺めて
オーイと呼んでみやうか
村の人が村のお友達が
みんなオーイと集つて来るでせう。
この「古里」とはどこだろうか。北九州か下関か、一時期暮らした鹿児島か。それとも、多感な時期を過ごした尾道か。父のふるさと伊予吉岡の風景もモチーフとなったかもしれない。
金子みすゞの詩と似たような作風だ。「オーイ」っていうと「オーイ」っていう。こだまでしょうか。やはり下関でしょうか。
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