ツルを助けたその晩に美しい娘が訪ねてくる。「けっして見ないでくださいね」と部屋に入ったきり出てこない。機織りの音もしないので心配になって覗いてみると、何もかも持って逃げられていた。その鳥はサギだった。有名な小話である。
ここではツルに比べて分が悪いサギだが、温泉発見伝説においては負けていない。
武雄市武雄町大字富岡に「鷺田(さぎた)神社」が鎮座する。社前の通りを進むと武雄温泉がある。
この神社名と温泉には深い結びつきがある。説明板には次のように記されている。
大昔、この一帯はこんもりとした森で、武雄温泉は、人も近づかないような岩山だった。その頃、近くに住む漁師が、いつも白鷺の舞いおりる岩山の谷間を尋ねていくと、白鷺が傷ついた足を温泉で癒しているのを見つけたと云う。これが武雄温泉発見の一伝説である。里人は、白鷺のとまった森を「鷺の森」と呼び、「鷺明神」を祀って、祠を建てた。これが鷺田神社の由来である。
温泉に浸かる白鷺を発見したのは、説明板では「漁師」となっているが、「猟師」とも「米守(よねもり)という水田見回りの役人」だともいう。似たような開湯伝説は、道後温泉、下呂温泉、山中温泉など名湯に伝わっている。民俗学の父、柳田國男は『山島民譚集』で次のように指摘している。
時に脚を傷めたる鷺来りて其泉に浸り忽ち傷癒えて飛去る。依って始めて其験を知り且つ其処を鷺来ヶ迫と名づくるに至れり云々〔豊後温泉誌〕。白鷺鹿の輩は古来皆霊物なり。温泉の発見者が神主又は僧侶なりし場合に、必ず其動物が土地の神仏の使者伝令なりしことを附加するは誠に当然の事にして、是だけの偶合ならば未だ怪しむに足らずとす。
たまたま白鷺が温泉に降り立っていた。そこへたまたま僧侶が通りかかった。湯けむりの中に立つ白鷺を見た僧侶は、「これぞ神仏のお導き」と霊験譚を語り伝えるようになったのだ。
これがいつの事かは、はっきりしない。温泉の存在は古くから知られていたようで、奈良時代前期成立の『肥前国風土記』杵島郡の条には、次のように記されている。
郡の西に温泉(ゆ)ありて出づ。巌岸峻極(さか)しくして人跡(ひと)罕(まれ)に及(いた)る。
杵島郡の西に温泉が湧き出ている。岩がけわしくて人は中々近付けない。今とはずいぶん雰囲気が異なるようだ。温泉発見については白鷺伝説の他に、神功皇后伝説もある。皇后は三韓征伐を終えて筑前に帰り、皇子をお産みになって休んでいた。ある夜のこと、産後の養生に温泉に入るよう勧めるお告げを受けた。武雄歴史研究会編『新・ふるさとの歴史散歩 武雄』より
皇后は早速、武内宿禰の先導で陸路を南に、海路を西へと進むと、丁度三日目の明方、朝もやの晴れ間に三つの峰の山(御船山)が見えました。夢のお告げの通りに山の北の麓に行くと、岩間から湧き出ている温泉を発見されたと言い伝えられています。
神功皇后の御船をつないだから「御船山」というそうだが、兵船そのものが山に化したとも伝えられている。武雄のランドマークといってもよい印象に残る山である。写真では三つの峰のうち北の峰が見えていない。
武雄温泉を見つけたのは、白鷺なのか神功皇后なのか。白鷺の傷を治癒したり神功皇后の産後ケアをしたりと、温泉の効能は抜群のようだ。まさか、シラサギにだまされた、なんてことはないだろう。
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