置かれた場所で咲きなさいと言われるから、私も今の場所で一花咲かせようと頑張っているのだが、養分を吸収する力がないのか蕾さえできないでいる。諸先輩方の残した偉大な足跡に学びながら、私も何か一つでも跡を残そうと地団駄踏んでいるのだが、びくともしない。二千万年前の水でさえ自らの痕跡を残しているのである。いわんや人間においてをや。
兵庫県美方郡香美町香住区下浜(しものはま)に県指定天然記念物「下浜の流痕(りゅうこん)」がある。平成27年までは「漣痕(れんこん)化⽯」という名称だった。
漣痕から流痕へと変更されたのは間違っていたからだという。漣痕という波の痕跡ではなく、流痕という水流の痕跡だったわけだ。つまり、水の動きに対して直交する模様ではなく、水の動きに平行な模様だったのである。説明板を読んでみよう。
下浜の流痕は水流によって溝状に削られた堆積物表面の構造が地層中に残されたもので、溝状流痕と呼ばれる。
流痕がみられる地層は、新生代新第三紀の北但層群に属し、日本海形成初期(約2,000万年前から1,700万年前)の低地に堆積したものと考えられる。
層理面に認められる線構造の形状解析調査の結果から、河川の流路に発達した流痕であることが確認された。
当時この周辺が河川であったことが確認できる学術的に貴重な流痕である。
平成27年7月
香美町教育委員会
要するに、こういうことだ。日本海が形成され始めた二千万年前から千七百万年前に、この地に川が流れていた。川底の泥には水の流れにより縦じま模様ができていた。そこに突如、大洪水が発生、砂礫が川底を埋め尽くしてしまう。それからどのくらいの歳月が過ぎたのか、この地は隆起し、下側の柔らかい泥の層はなくなって、上側の硬い砂礫の層が残った。岩の底に模様がついているのは、そのためである。
人類が出現する遥か前の日本。いったいどのような風景が広がっていたのか。いま私たちが目にする景色も二千万年後には、やはり大きく様変わりしているはずだ。私の夢も悲しみも欲望も、数少ない成功さえも、何ら痕跡が残っていないことだろう。
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