三十三間堂には一千一体の千手観音がおわす。一体の観音は三十三身に変化して衆生を救うというから,その数は三万三千三十三となる。救いの手は,そこここに伸べられていたのだ。
三十三間堂の名で知られているが正式には蓮華王院といい,後白河上皇の院政庁である法住寺殿の一部をなしていた。上皇の愛した今様にも,「よろづのほとけの願よりも 千手の誓ひぞ頼もしき 枯れたる草木もたちまちに 花さき実なると説いたまふ」(『梁塵秘抄』巻第二法文歌仏歌)とある。
同時代に生きた法然は,念仏による衆生の救済を説いた。日頃からの称名が大切であり,自身は一日六万遍の念仏を唱えていたという。また,現在も民俗行事として,大きな数珠を「南無阿弥陀仏」と唱えながら回す「百万遍」が各地に伝わっている。
数の多さは,論理を越えた迫力で私たちを平伏させる。
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