備前法華といわれるように岡山には日蓮宗の信徒が多い。村々の中心には題目石が建てられ,今でも篤く信仰されている。丁寧な村では宗祖・日蓮を祀る祖師堂を建立している。岡山市青江は行政地名としては広範囲だが,昔からの集落は青江5丁目あたりの集住地域だ。そこを南北に貫く道沿いに祖師堂がある。時折,新しい花とともに線香の煙が立っているのを見かける。
のぼりも額もない目立たない祖師堂であるが,線香を立てる石鉢には「戦捷紀念」の文字が刻まれている。側面には明治三十七八年の文字もあり,日露戦争の戦勝記念であることがわかる。
当時の情報媒体といえば新聞であり,戦況を従軍記者が名調子で伝えていた。ここ青江は新聞人から政界入りし文部大臣となった小松原英太郎の生地でもある。村人も新聞で戦争への関心を高めていたに違いない。
大国ロシアに勝利した日本は各地で祝勝行事を実施した。東京ではパリに倣った凱旋門さえ建てられたという。国民としてのアイデンティティが確立していた地方の村でも思いは同じだ。各戸からいくばくかの寄付金を集め,線香を立てる石鉢を新造し,勝利を祝う文字を刻んだのだろう。
視覚化された勝ち戦のイメージは,人々の誇りを繰り返しくすぐっていく。祝祭の大日本帝国はここに始まった。
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