今から思えば,太平洋戦争への突入は無謀にしか思えないのだが,当時としては決然として立つべき理由はあった。それは,明治以来,大陸に日本人が営々と築いてきた勢力を守るためであり,その過程で異郷に散った英霊の労に報いるためである。
仙台市青葉区川内の仙台城跡に「昭忠塔」がある。あの有名な伊達政宗公の騎馬像の近くにある。
騎馬像の前では多くの観光客が写真を撮っていたが,昭忠塔の前には誰もいない。この塔は西南戦争,京城事変,日清戦争などで活躍した東北各地の将兵の死を悼み,慰霊のために明治35年11月に建立されたものである。塔の頂にいる鳥は鵄(トビ)で翼巾6.7メートル,重量は17.5トンもあり,遥か大陸を睨んでいるということだ。
「昭忠」の文字は,元帥大勲位功二級彰仁親王の書である。小松宮彰仁親王は日清戦争時に征清大総督を務め,自ら旅順に出征している。仙台に置かれた第二師団は,後の日露戦争,満州事変でも活躍することとなる。大陸へ勢力を拡げようとする帝国主義的な気運を伝える貴重な遺跡だ。
同じく仙台市青葉区川内の仙台市博物館の手前に「満洲事変軍馬戦歿之碑」がある。
この碑には次のように刻まれている。
昭和六年九月十八日以降無言ノ戦士トシテ満洲事変ニ参加セシ第二師団下諸部隊戦病死馬八十七頭ノ霊ヲ合祀ス 昭和八年十二月 正六位勲六等四竃仁邇(しかまじんじ)書
「くにを出てから幾月ぞ ともに死ぬ気でこの馬と」と『愛馬進軍歌』にあるように,軍馬は兵器であり財産であるとともに,戦友であった。その死を悼んで建てられたこの塔には,「帝国主義」という言葉では断罪できない,兵士の思いが込められている。
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