高松塚古墳といえば,かつては古代ロマンの象徴的存在であったが,今や文化財保護の代表的な失敗例となってしまった。切手にもなったあの美しい壁画は二度と見ることができない。形あるものすべて壊れる,と達観してしまえばよいのだろうが,何とも惜しい気がする。
岡山市北区新庄下に「千足装飾古墳(造山古墳第五墳)」があり,国指定の史跡となっている。
最近,このようなニュースがあった。(平成21年10月5日山陽新聞)
吉備最大の前方後円墳・造山古墳(岡山市北区新庄下)の陪塚(ばいちょう)で、岡山県内唯一の装飾古墳としても知られる国史跡・千足(せんぞく)古墳(同)で、石室内の石に刻まれた直弧文が一部剥落(はくらく)するなど、装飾の劣化が進んでいることが5日、岡山大の新納(にいろ)泉教授(考古学)らの調査で分かった。
同古墳は造山古墳の南約200メートルにある前方後円墳(全長74メートル)。5世紀前半に築かれた古代吉備最古の横穴式石室(長さ3・5メートル、幅2・5メートル、高さ2・7メートル)を持つ。石室の奥側を高さ53センチの砂岩製の切り石(石障)を巡らせて区画し、その前面に、直線と円弧を絡めた呪(じゅ)術的な直弧文を彫刻している。
石室内は自然に水がたまるようになっており、ふだんはほぼ完全に水没。今回、新納教授らの研究チームが、石室内のデジタル実測を行うため、約20年ぶりに水を抜いたところ、装飾が剥落していることが分かった。
新納教授は「石に彫られた文様のうち、特に泥に埋もれていた下半部の傷みが激しいようだ。文様面がはがれ落ちていて、一部は完全に消失している」と指摘。「造山古墳をめぐる歴史の動向を知る上で極めて重要な資料だけに、衝撃は大きい」と話している。
直弧文は実に不思議な文様だ。山陽新聞のコラム「滴一滴」の筆者は「抽象絵画の先駆者であるカンジンスキーの絵とだぶって見えた」という。確かに卓抜したセンスを持ち合わせないと描けないような気がする。
写真はブルーシートが掛けられた墳頂である。向こうには造山古墳が見える。やはり酸性雨の影響はここまで来ているのだろうか。何としても解体保存は避けたいものだ。千足古墳を第二の高松塚にしてはならない。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。