日本の年中行事はコンビニによって守られ育てられていくものなんだな。私の小さい頃には恵方巻など聞いたこともなかった。ところが今では,節分には昔からこうして食べてきたかのように,家族で恵方に向かって太巻を丸かぶりする。最近は具のバリエーションが増えただけでなく,ロールケーキの恵方巻まで登場して購買意欲がくすぐられる。季節外れの話題で恐縮だが御付き合い願いたい。
大阪市此花区伝法五丁目に「庚申堂」がある。小さな堂宇だが,明治42年までは愛宕神社の一部で,同神社が澪標住吉神社に合祀される際に,地元の強い要望でこのお堂だけが残された。写真右に上部だけ見えている合祀記念碑にその経緯が記してある。
可愛いお猿さんの彫刻が参拝者を癒してくれる。猿は桃を持っているが,桃には邪気を祓う効能があるという。かつてこの地区は申村(さるむら)といった。庚申堂が残されたのも,この地名ゆえなのかもしれない。
ところで,節分の恵方巻丸かぶりは,この地が発祥だと聞いた。詳しいことが知りたくて,大阪市立図書館所蔵の勝安男「伝法のかたりべ(五)-旧・申村を含む」(平成3年発行)を読んでみた。
一日中明けの朝日が高く昇るまで楽しむのが申村の世念講で,そしてこの日の食事のことでありますが,昼食夜食は巻寿司を食べることが習わしとなっていました。女性達が宿の女房の指図で鮨を作るのでありますが,村の若い男女が大勢の上,他国者の船頭衆や川人夫等も加わるので,鮨作りはたいへんな忙しさです。若い者ばかりの集まりで,鮨の一本や二本で足りるはずもなく,女性は鮨を巻くだけでも目の回るような忙しさです。切る暇などはありません。女が手間取っているのを見て「姉さん,切らんとそのままおくれんか。腹が減ってグーグー言うとるわ。上品な食べ方せんでも,みんな顔見知りのもんばっかりや」。女が「そうやなぁ。そうしてくれたら,おお助かりや」。そこで,鮨の丸噛りとなるのでありますが,宿の女房が「あんたら,ちょっと待った」と一声,「鮨を噛るとき,家の神棚に,今年も元気でいられるようにと,拝んでから噛るのんやでぇ」。「そうかぁ。来年も達者でみんなと一緒に鮨を食わしてもらえるようになぁ」。そうするけん,そうするわのぅ,そうするばい―。他国者が楽しそうに自国の方言で応えれば,ドッと全員が笑いだす。地家(土地の者)の若者連中であります。このようにして節分の夜,世念講を愉快に楽しむのでありました。
昭和三十五,六年頃からと思いますが,二月,節分の日に鮨店が盛んに鮨の丸噛りを宣伝し,販売することが流行してきました。これを初めて思いつき,売り出したのが京都市内のある鮨店の主人であります。この店主の親か祖父かが旧申村の年中行事,世念講のしきたりを誰かに聞いたのか,前から知っていたものであろうか,定かではありませんが,とにかく,申村の世念講を真似て売り出した鮨が大当たりしたので,他の鮨店も,我も我もと売出し,今日に至ったのであります。現在の売出し文句に,鮨を丸噛りする時,その年の恵方にむかって食べれば幸福が我が身に訪れると言うことがありますが,これには何の根拠もありません。現在伝法五丁目で昔の世念講の有様を知っておられる方はなかろうかと思いますが,ともあれ節分鮨の丸噛りの行事は申村が原点であります。
申村の世念講が写真で紹介した庚申堂で行われていたのではない。しかし,若者達が集まった宿も昔の面影も残っていない旧・申村で,かつての記憶を留めているのが唯一,庚申堂である。したがって,この庚申堂は「恵方巻発祥の地」と言える。コンビニの販促キャンペーンであろうが構わない。行事が時とともに変化しつつ受け継がれていく。これが伝統なのだ。
シアリスさま、ご覧くださりありがとうございます。よい記事が書けるよう努力してまいりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
投稿情報: 玉山 | 2012/05/24 20:27
ブログがよく書いてあると思います、引き続き注目しております。もっといい文章を書けるように願ています。Good post!
投稿情報: シアリス | 2012/05/24 10:35