「坂の上の雲」ではないが、近代化をめざす明治国家には活気がある。乾いた土に雨水が浸み込むように知識や技術を吸収していった。貴重な雨水をもたらせてくれた「坂の上の雲」はお雇い外国人である。
朝来市生野町小野の生野銀山に「フランソワ・コワニエ像(M.F.COIGNET)」がある。
ジャン・フランソワ・コワニエはフランス人の技師である。ファーストネームのイニシャルはJのはずだが銅像はMとなっている。明治元年から同10年まで最初のお雇い外国人として、火薬による発破の導入を始めとして様々な技術指導を行った。彼のプロフィールを生野町中央公民館『生野銀山』から引用しよう。
ジャン・フランソァ・コァニェ(鉱山師)
Jean François Coignet (1835~1902)
(生野史 フランソワ・コワニー)
雇入 年給 洋銀9,000枚(円)
生野在勤 慶応4年6月~明治10年1月
契約文書があります。
在任期間 8年8ケ月
解雇時の月給800円
帰国に際し、2,000円賞与を受けます。
妻同伴、子供なし
明治10年5月28日帰国
さすがはお雇い外国人である。コワニエは高給に見合う仕事をした。彼のおかげで生野は見事に近代鉱山として新生する。模範的な官営鉱山だった時代を象徴するのがこの門柱だ。
風化して菊の御紋章も傷んできているが、今でも門の役割を果たしている。昭和48年に閉山するまで、坑道の総延長は約350km、深さは880mに及んだという。坂の上の雲を追いかけた日本の底力は地の下の銀だったのだ。
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