天皇陛下の尊顔を拝したことがある。と言っても、国体の折に来県された両陛下がお車で県庁通りを進まれるのをお見かけしたまでだ。それでも、窓を開けて手を振っていらしたのには感激した。歴代天皇で最も行動範囲が広いのは今上陛下であろう。交通機関の発達のお蔭ではあるが、大切なのは陛下が国民統合の象徴としての役目を果たしておられることだ。
宇治市宇治蓮華に「明治天皇御駐輦之地」と刻まれた石碑がある。緑の山に緑の草、そして緑の石。白い雲に青い空、そして青い川。三色から成る夢のような景色である。夢浮橋の古蹟が側にある。
駐輦(ちゅうれん)とは天子の乗り物が止まること、天子が滞在することをいう。歴代のうち初めて全国を大規模に巡幸したのは明治天皇である。国民国家の醸成に大いに寄与した。今上陛下や昭和天皇の滞在場所は数知れないが、明治の御代は時の流れがゆったりとしており、天皇の足跡を写真のような記念碑や記録で確認することができる。
兵庫県は昭和11年に『明治天皇聖蹟』を発行し県内の聖蹟を紹介している。この本には参考資料として「明治天皇行幸年表」が掲載されており、天皇の行程を日毎に追うことができる。宇治での滞在に関する部分を抜粋しよう。
大和国並京都行幸
十年一月廿四日 東京仮皇居御発輦(新橋停車場より御乗車、横浜停車場着御、横浜港より高尾丸に乗御) 御発船
廿六日 三重県鳥羽町 鳥羽行在所常安寺 御仮泊
廿七日 同 同 鳥羽港 御発船
廿八日 神戸市 神戸港 御上陸
同 神戸郵便局 御小休
神戸停車場 御発
七条停車場 着御
京都市 京都御所 御泊二月六日まで御駐輦
五日 (京都神戸間鉄道開通式臨幸)
京都市 七条停車場 御発
大阪市 大阪停車場 式場臨幸
神戸市 神戸停車場 同右
京都市 七条停車場 同右
七日 京都府宇治町 宇治行在所萬碧楼上田俊造宅 御泊
八日 奈良県奈良市 奈良行在所東大寺中東南院 御二泊
十日 奈良県今井村 今井行在所称念寺 御二泊
十二日 大阪府道明寺村 道明寺行在所南坊城良興宅 御泊
十三日 堺市 堺行在所河盛仁平宅 御泊
十四日 大阪市 大阪行在所造幣局 御二泊
十六日 京都市 京都御所 還御 七月二十七日まで御駐輦
そして七月三十日には仮皇居へお戻りになる。仮皇居というのは、明治6年に皇居(旧江戸城西の丸御殿)が炎上したことにより、赤坂離宮(旧紀伊藩上屋敷)に天皇が住まわれていたことによる。天皇の京都滞在が長期間に亘ったのは2月15日に始まった西南戦争による。2月7日の宇治滞在は戦争前夜の状況であった。
行在所となった萬碧楼は江戸期からの有名な料亭旅館だったようだ。今も建物が残り中村藤吉平等院店として銘茶やスウィーツを扱う宇治らしい上品な店として親しまれている。石碑のある場所から平等院表参道を少し進んだところにある。
碑文の揮毫は臨時帝室編修官長正三位勲一等文学博士三上参次で、臨時帝室編修局は『明治天皇紀』を編纂した宮内省の機関である。公伝が刊行されることだけでも明治天皇という存在の大きさがよくわかる。
大帝と呼ばれる君主は世界広しといえども、それほどにはいない。明治大帝なら一泊の御泊りであってもその意義は大きい。宇治の見どころは随所にあるが、大帝は充分に堪能されたのだろうか。
宇治を楽しんだ私も大帝の顰(ひそみ)に倣って奈良へ向かうことにしよう。平成22年夏の旅路である。話はそれるが、アクセス数があと1回で2万となる。まだまだ史跡巡りは続く。
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