子どものころ町内の運動会で、ペアになる人を探して二人でゴールする種目があった。「友和」のカードを取った人は「百恵」を見つけ出し手をつないでゴールに駆け込んだ。ところが「お軽」が「勘平」を探し、「お七」が「吉三」を求め、「お夏」が「清十郎」を見つけるとなると、これは難問だ。誰これ? 誰を好きになったらよいのだろう? 古典の教養がないと運動会も楽しめない。
目黒区下目黒三丁目の目黒不動に「白井権八小紫比翼塚」がある。
比翼塚は愛し合って死んだ男女を一緒に葬った塚のことで、心中事件など悲恋物語が背景にあることが多い。目黒の比翼塚の白井権八とは、歌舞伎に登場する人物で実名は平井権八という。小紫との物語は「権八小紫物」として歌舞伎界ではよく知られた演目だそうだ。『世界大百科事典』(平凡社)で「権八小紫物」の項を読んでみよう。
歌舞伎狂言の一系統。鳥取藩士平井権八は本庄助太夫を殺して江戸へ逃げ、強盗殺人を犯して自首し、1679年(延宝7)11月3日処刑され、愛人である吉原三浦屋の遊女小紫がその墓前で自害した。以上、目黒に残る比翼塚の由来による。これに、時代にずれがあって関係ないはずの侠客幡随院長兵衛を結びつけて脚色したものが多い。
この演目では、四世鶴屋南北作「浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなづま)」が決定版とされる。特に「鈴ヶ森」の場面が人気である。権八が雲助たちに囲まれて大立ち回りを演じ、これを鮮やかに斬り伏せて立ち去ろうとすると…(『歌舞伎ハンドブック』藤田洋編、三省堂)
幡随院長兵衛
「お若えの、お待ちなせえやし」
白井権八
「待てとおとゞめなされしは拙者が事でござるかな」
幡随院長兵衛
「さようさ。鎌倉方のお屋敷へ、多く出入りのわしが商売、それをかこつけ有りようは、遊山半分江の島から、片瀬へかけて思わぬ暇取り、どうで泊まりは品川と、川端からの帰り駕籠、通りかかった鈴ヶ森、お若えお方のお手のうち、あまり見事と感心いたし、思わず見とれておりやした。お気づかいはござりませぬ。まア、お刀をお納めなせえまし」
映画のロケ地巡りを楽しむ人は多い。おそらくは江戸時代も同じような楽しみ方もあったに違いない。歌舞伎を見て感動し、ゆかりの地を訪れていっそう共感を深めていく。歌舞伎の名作が育てた情緒ある史跡である。
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