『怪談』で有名な小泉八雲は外国から来た人で、もとはラフカディオ・ハーンという名前だとは知っていたが、どこの国の人かは考えたことがなかった。熊本や松江に旧居があることは知っているが行ったことはない。東京で八雲ゆかりの地を訪れたのは、東京メトロ東新宿駅の近くに宿を求めたという偶然による。その偶然がハーンの出身を教えてくれた。
新宿区大久保一丁目の区立大久保小学校前に「小泉八雲旧居跡」の石碑がある。「明治三十五年三月ヨリ三十七年九月マデ」と八雲が過ごした期間も刻まれ、解説碑には旧居の写真(下写真参照)が焼きつけられている。
日本のルポルタージュを書こうとしてラフカディオ・ハーンがアメリカから横浜に到着したのは、明治23年である。経済的理由から日本で英語教師をすることにしたハーンは、同年松江の島根県尋常中学校・尋常師範学校に赴任する。翌24年には熊本の第五高等学校に転じ、27年には英字新聞を発行する神戸クロニクル社の記者となった。
ハーンが「小泉八雲」という日本名で帰化したのは明治29年。同年、東京帝国大学で英文学を教えることになった。住所は市谷富久町21番地。そして本日の舞台、西大久保265番地に転居したのが明治35年3月19日である。『怪談』を執筆したのはこの家であった。
明治37年には早稲田大学で教えるようになったが、9月26日に心臓発作により西大久保の自宅で亡くなった。最期の模様を妻の小泉節子が「思ひ出の記」に記している。(田部隆次『小泉八雲』所収)
午後には満洲軍の藤崎さんに、書物を送って上げたいが、何がよからう、と書斎の本棚をさがしたりして、仕舞に藤崎さんへ手紙を一通書きました。夕食をたべました時には、常よりも機嫌がよく、戯談など云ひながら、大笑など致して居ました。「パパ、グッドパパ」「スウイト・チキン」と申し合って、子供等と別れて、いつのやうに書斎の廊下を散歩して居ましたが、小一時間程して、私の側に淋しそうな顔して参りまして、小さい声で「ママさん、先日の病気また帰りました。」と申しました。私は一処に参りました。暫らくの間、胸に手をあてゝ、室内を歩いて居ましたが、そっと寝床に休むように勧めまして、静かに横にならせました。間もなく、もうこの世の人ではありませんでした。少しも苦痛のないやうに、口のほとりに少し笑を含んで居りました。天命ならば致し方もありませんが、少しく長く看病をしたりして、愈々駄目とあきらめのつくまで、居てほしかったと思います。余りあっけのない死に方だと今に思はれます。
満州軍の藤崎さんとは、島根県尋常中学校での教え子の藤崎八三郎のことで、この時、日露戦争で陸軍工兵大尉として満州に出征していた。絶筆となった手紙は太平洋戦争の熊本大空襲で焼失し、今は複写が残っているのだという。
旧居跡からほど近いところに南欧風の瀟洒な公園がある。小泉八雲像が置かれ、銘板には次のようなメッセージが記されている。
ラフカディオ・ハーン(日本名小泉八雲)はギリシャの島レフカダに生まれ、新宿区でこの世を去りました。
レフカダ町と新宿区は、この縁をもとに1989年10月友好都市となりました。
この度、新宿区が小泉八雲記念公園を造成するに際し、ギリシャ政府はレフカダと新宿を通してギリシャと日本の間の友好関係が一層深まることを願い、この胸像を新宿区へ贈ります。
1993年4月 駐日ギリシャ大使 コンスタンティノス・ヴァシス
生誕の地と終焉の地が友好都市となっている。近年、経済の評判は芳しくないギリシャだが、観光そして文化においては長年、日本人の憧れである。このギリシャに生を受けた小泉八雲ことラフカディオ・ハーンはギリシャ人なのか。ラフカディオの名前はレフカダという島名に由来する。
ハーンのフルネームは、パトリック・ラフカディオ・ハーンである。パトリックはアイルランドの男性に多い名前だ。ということはアイルランド人か。
調べてみると、父がアイルランド人で母はギリシャ人である。ただし、アイルランドは当時イギリス領であり、父は英国陸軍軍医補である。そして、日本に帰化するまでハーンの国籍はイギリス籍であった。
ハーンはギリシャ生まれで間違ってはいないが、正確に言えば「ギリシャ王国」ではない。生年の1850年当時、レフカダ島は「イオニア諸島合衆国(United States of the Ionian Islands)」の一部であった。この耳慣れない名の国は、独自の憲法と議会を持ちながらも、イギリスの保護下にあって、高等弁務官が政府を代表していた。ここにイギリス軍が駐屯していたことが、父と母とを結びつけたというわけだ。
アイルランドとギリシャの血を承け、イギリス国籍を持ちアメリカで活躍し、日本文化を愛し日本に帰化した小泉八雲。彼の54年の人生は遠く離れたギリシャと日本を近くしている。新宿区とレフカダ町(現在は市)は1990年に始めた児童生徒の絵画作品の交流を毎年続けているそうだ。
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