ピース又吉はお笑い芸人であって読書人である。『第2図書係補佐』を読むと、才人とはこういう人のことだとよく分かる。その又吉が、最近話題のドラマ『大奥~誕生』で演じたのが、隆光であった。場面は、道行く母娘を呼び止めた僧侶が「この娘はいずれ高い位にのぼる相を持っている」(『護国寺日記』より)と声を掛けたというエピソードに基づいている。この時の娘・お玉は、やがて5代将軍綱吉の生母・桂昌院となる。隆光は桂昌院の帰依を受け、幕政にも影響力を及ぼすようになる。
VIPになってからの隆光は、テレビの続編である映画『大奥~永遠』で堺正章が、桂昌院の西田敏行とともに演じており、『西遊記』以来だと話題になった。映画で隆光は桂昌院に過去の猫殺しを悔い改めさせ、それが稀代の悪法「生類憐みの令」につながっていく。
大阪府南河内郡太子町大字太子に「大僧正隆光墓」がある。
隆光は大和国の出身で、奈良市佐紀町に「隆光大僧正墓所」がある。出家得度した唐招提寺西方院には「護持院隆光の五輪塔」、隆光が真言宗として再興した室生寺にも「大僧正隆光」と刻まれた墓がある。河内にある墓にはどのようなゆかりがあるのだろうか。史跡を管理する羽曳野市が作成した説明板を読んでみよう。
隆光は多田義直の上表の時、柳沢吉保と共に尽力した人物で、将軍綱吉の学僧であり江戸護持院の住職をつとめ、いわゆる「生類憐れみの令」(1687~1709)を公布させた人物であった。
そのため綱吉の死後は役目御免の扱いを受け自分が世話をしてきた通法寺の住職に左遷させられ、のちに奈良市二条町付近の自宅で死去したが、この通法寺においても隆光の分骨所としての墓碑が残されている。
墓碑には「当寺中興/大僧正隆光/享保九甲辰天八月七日寂」と刻まれているそうだが、写真ではよく分からない。当寺とは通法寺のことである。この寺も室生寺と同じく、隆光が再興した寺院の一つだったのだろう。
教義を宣布し礼拝施設を整備することは宗教者の務めである。時は元禄バブル。隆光は将軍綱吉・桂昌院に協力して、戦乱によって失われていた大寺院の伽藍を復興した。
生類憐みの令を公布させたというが悪意があろうはずがない。動物愛護、ひいては生きとし生けるものの命を大切にせよと説くことは、仏教者として当然のことである。
隆光を非難するなら、同様に鎌倉時代の高僧・叡尊を責めたらよい。宇治川の網代を破却して魚の命を救ったが、漁民はたいそう困ったはずだ。
修学旅行生が訪れる東大寺。その大仏殿再興に協力を惜しまなかったのも隆光である。世界最大級の建築物を見て聖武天皇の偉大さばかりを意識しているが、隆光の仕事の大きさにも思いを致すべきだろう。
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