ブルガリア出身の大関・琴欧洲。先月の初場所では10勝5敗とまあまあだったが、12日目、横綱白鵬を寄り切ったのが光った。彼の身長は203センチメートルあるという。これは高い。現役最長身なのではないか。では歴史的にはどうなのだろう。下の写真を見てほしい。
長身力士の四股名と背丈を記録した「巨人力士身長碑」である。これによるとトップ3は次のとおりだ。
①生月鯨太左エ門 七尺六寸(2m30cm)
②大空武左エ門 七尺五寸(2m27cm)
③釈迦ヶ嶽雲右エ門 七尺四寸八分(2m26cm)
鯨だとか空、雲だとか、四股名からもその大きさを感じ取れる。そういえば琴欧洲もブルガリアのみならずヨーロッパ大陸を背負っている。その琴欧洲も真っ青なのが上記3名の巨人たちである。このうち、釈迦ヶ嶽については、もう一つの身長碑がある。
江東区富岡一丁目の富岡八幡宮の境内に「釈迦嶽等身碑」がある。区有形文化財である。上記「巨人力士身長碑」も同じ場所にある。
写真では見えにくいが、正面に「出雲釈迦嶽雲右衛門長七尺五寸石象表本」と刻まれている。傍に立つとその大きさがよく分かる。いったいどのような力士だろうか。説明板を読んでみよう。
寛延二年(一七四九)出雲国(現安来市)に出生。松平家のお抱え力士雷電為五郎の弟子となり大坂で初土俵、明和七年(一七七〇)江戸番付に東大関として登場する。身の丈七尺五寸(二米二六糎)四拾五貫八百匁(一七二瓩)の巨体があった。江戸在場所中の成績は二三勝一分一預という高い勝率を残した。安永四年(一七七五)若干二十六才にて没したのは惜しまれる。この碑は天明七年実弟の真鶴咲右衛門により建立された。
そりゃそうだ。目の前に2m26cmの壁が迫ってくるのだから勝ち目はなさそうだ。生月と大空は釈迦嶽より長身だが大関ではない。したがって、最高位にして最長身の力士は釈迦嶽雲右衛門なのである。
同じような碑が郷里の出雲、今の安来市大塚町にある。手前が平成3年に建てられた等身碑である。足元の足形がこれまた巨大で、まさに巨人である。雲右衛門はこの地の天野家に生まれた。
奥にあるのは「釈迦嶽雲右衛門・稲妻咲右衛門兄弟塔」で、安来市指定の有形文化財である。兄の釈迦嶽は早くに没するが、弟は長命を得た。兄弟に共通しているのは大関まで昇進していることである。あの有名な若貴兄弟も共に大関というか横綱までなったが、釈迦嶽・稲妻以来の快挙なのであった。
確かに稲妻は大関ではあったが、大関時代は大鳥居、大関陥落後に真鶴、そして稲妻と改めた。寛政7年に稲妻と改めたというから、先述の釈迦嶽等身碑を建てた天明七年当時は真鶴という四股名だった。
一方、兄弟碑は、稲妻が引退後の文政7年(1824)に兄を偲んで建立したものである。釈迦嶽と稲妻の天野兄弟は地元で今でも親しまれ、郷土カルタ(大塚ふるさとカルタ)の句になっている。
「く」 苦労がみのり 大関となる 釈迦嶽
「あ」 兄の後 大関となる 咲右衛門
そして安来市広報紙の最新号、平成25年2月号の「広報やすぎ どげなかね」に、「大力士・釈迦嶽雲右衛門伝」が掲載された。子どもの頃に、こんなエピソードがあったそうだ。
お腹がすいた雲右衛門は、母におやつをねだると、「お菓子がないから、ご飯でも食べてなさい」と言われました。そして、夕食時。母がご飯の入ったお櫃をのぞいてまた驚きました。三升(約30合)あったお米が一粒も残っていなかったのです。
どんだけ、すごいんじゃ。すごいといえば、出雲の地は数々の名力士を輩出している。第12代横綱・陣幕久五郎は出身力士、史上最強の雷電為右衛門は松江藩のお抱え力士。現在は幕内で隠岐の海が活躍している。昨年11月の九州場所では琴欧洲を寄り倒しで破った。初場所もなんとか勝ち越したので、春場所も期待していい。
天野さま
本記事を御覧くださりありがとうございます。
御子孫の方にコメントしていただき感激しております。
力士は地元の誇りですよね。隠岐の海の復活を願っています。
投稿情報: 玉山 | 2015/03/31 00:21
釈迦嶽雲右衛門の子孫、安来市在住の天野です。H27,3/26に隠岐の海の臨席を仰ぎ、没後240年の供養が
安来市大塚町出身力士顕彰事業実行委員会の主催で行われました。
感激をいたしました。
投稿情報: 天野英二 | 2015/03/30 09:54