「浮石」という面白いモニュメントが登米市の「かがの公園」にある。なんでも1.9トンもある巨大な球形の石がクルクル回りながら流れ出る水の上に浮いているという。パスカルの原理を応用しているらしいが、よく分からない。おそらくはテコの原理みたいなもので、小さな力で大きな力を生みだしているのだろう。
高砂市阿弥陀町生石の生石(おうしこ)神社に御神体の「石の宝殿」がある。「浮石」とも呼ばれる。確かに浮いているように見える。
人の手で造られたことは確かだが、目的は一切不明である。謎のモニュメントだけに一層の興味を掻き立てられる。神社の設置する説明板を読んでみよう。
三方断崖に囲まれ、池中に石殿横たわる。古びた樹木が上部に生い茂っている。四方三間半(約六・三六メートル)棟へ二丈六尺(約七・八七メートル)日本三奇の一つで、御祭神の作と言い伝えられる。三奇とは塩釜神社の塩釜、霧島山の天逆鉾、石の宝殿である。俗に浮石という。この浮くは石工の用いる言葉で、岩にひびが入る即ち割れ目の出来ることを意味している。即ち石宝殿と台石との間にひびが入っているので浮石という。
なるほど、見た目の問題ではなく、大地とは切り離されているので浮石というわけか。背後の山へ登ってみると、確かに上部に樹木が生えている。
この謎のモニュメントは御祭神がお造りになったという。生石神社の主祭神は大穴牟遅(おおあなむち)命、少毘古那(すくなひこな)命である。神社の由緒書を読むと、石の宝殿が未完成となったことが分かる。
神代の昔大穴牟遅(おおあなむち)少毘古那(すくなひこな)の二神が天津神の命を受け国土経営のため出雲の国より此の地に座し給ひし時、二神相謀り国土を鎮めるに相応しい石の宮殿を造営せんとして一夜の内に工事を進めらるるも、工事半ばなる時阿賀の神一行の反乱を受け、そのため二神は山を下り数多神々を集め(当時の神詰、現在の高砂市神爪)この賊神を鎮圧して平常に還ったのであるが、夜明けとなり此の宮殿を正面に起こすことが出来なかったのである。時に二神宣はく、たとえ此の社が未完成なりとも二神の霊はこの石に籠もり永劫に国土を鎮めんと言明せられたのである。以来此の宮殿を石乃宝殿、鎮の石室と称して居る所以である。
国土を治める宮殿として一夜のうちに造ろうとしたが、阿賀の神が反乱し、これを鎮圧したものの、夜が明けて未完成となったという。阿賀の神は姫路市飾磨区の英賀(あが)神社のことだろうか。
有名な『播磨国風土記』にも登場するというから、この石は確かに古い。古いだけに謎は深まる。印南郡大国里の条の一部を引用しよう。
原の南に作れる石あり。形、屋(や)のごとし。長さ二丈、広さ一丈五尺、高さもまた、かくのごとし。名号(な)を大石といふ。伝へていはく、聖徳の王(おほきみ)の御世、弓削大連(ゆげのおおむらじ)の造れる石なり。
聖徳太子の時代に弓削大連こと物部守屋が造ったのだという。神様が造ったというよりリアルな感じがするが、何のためにという疑問は解消できない。
なんと、あのシーボルトもここを訪れている。1826年3月10日のことである。研究書『日本』には宝殿のスケッチが収められている。日本の謎はヨーロッパに紹介された。それでも解決しない。ブラウン管テレビの原型だという説だけは間違っているだろう。
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