失われた塔には想像力を掻き立てられる。現在の日本で最も高い木造建築は東寺の五重塔、約55mである。新幹線からも見える京都のランドマークである。失われた塔には、これを超える高さの塔があったというから驚きだ。
史上最高は相国寺の七重塔で約109m。東大寺の七重塔が約100m。まさにケタ違いの大きさである。高層建築など他にない当時、どのような威容を誇っていたのか。大きさは権威の象徴でもあった。
奈良市に「大安寺塔阯」がある。国指定の史跡「大安寺旧境内」の一部である。
写真の位置では手前に東塔、向こうの方に西塔があった。今は広々とした空間だが、かつてはここに70m以上の七重塔が建っていたのだという。
西塔跡からは平成17年に塔の軒先につり下げたとみられる大型の風鐸(ふうたく)の破片が出土している。復元すると高さ55㎝の青銅製金メッキのゴージャスさである。
これを裏付けるかのような伝説がある。大和史蹟研究会『大和の伝説(増補版)』(昭34)に掲載されている。
黄金造りの塔
七大寺の一つの大安寺の東西両塔は、黄金造りであった。その光りは、闇の夜でも遠く山を越えて、大阪・堺の海まで照らした。
ところが、その光のために、大阪・堺の海では、魚が集まらなくなったので、漁民どもは大いに苦しみ、ついに隊を組んで大安寺に押し寄せ、火をつけて塔を焼いてしまった。それから魚ももとの通り取れるようになったという。塔の跡は現に史跡指定地になっている。
これはすごい。「黄金造り」は誇大表現だが、金色の風鐸の記憶は確実に残っていた。堂々たる塔の姿が偲ばれる。
西塔跡には2mを超える巨大な心礎が残っている。注目すべきは、くさびを打ち込んだ痕跡である。割って運び出そうとしたが無理だったようだ。おそらくは石の巨大さによるのだろうが、実は、このような伝説もある。出典は上記と同じである。
血の出た礎石
この大安寺の塔の礎石を、明治初年の廃仏のころ、ひそかに金にしようと思って、一人の石工が夜先ず西塔の心礎を割りかけた。おいおい割っていって、最後にもう少しというところになって、石の中から真っ赤な血がふき出した。石工は驚いて逃げ帰り、病みついて死んでしまった。その後は、だれも手をつける者がなく、今も旧境内唯一の礎石として、史跡指定地に残っている。
石から血が出たとか、「帰りたい」としゃべったとか、石には不思議な伝説が多い。国家最高の格式を誇った寺院の大阪湾をも照らした七重塔を支えた心柱の礎石である。他に転用しようなんぞもってのほか。血を出してでも抵抗したとは、さもありなんの話である。
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