「リケジョの星」として彗星の如くマスコミに登場した美人研究者が、論文不正疑惑により博士号剥奪の危機に瀕している。センセーショナルに発表しノーベル賞候補とまでもてはやされたが、わずかな期間に状況は暗転してしまった。
称賛と非難でずいぶん辛い思いをしたことだろう。「かっぽう着のリケジョ」だとか「現代のベートーベン」だとか、心の渇いた視聴者が美しい物語を求めていたことに起因する悲劇である。
不正は意図的かミステイクなのか。真実は明らかになるのか。本日は、古代にも不正の追及が行われていたという話題である。
藤井寺市国府一丁目の市野山古墳は「允恭天皇(いんぎょうてんのう)恵我長野北陵(えがのながののきたのみささぎ)」である。
允恭天皇は第19代天皇で、陵墓は全長230mで全国第19位の前方後円墳である。父の仁徳天皇陵には及ばないが、周囲を歩いて巡るとその巨大さが実感できる。
允恭天皇は中国の史書に「倭王済」として記され、「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東将軍倭国王」の称号を宋の文帝から認められている。
内政面では氏姓の詐称を糺問するために、次のようなことをした。『日本書紀』で允恭天皇4年(415)9月9日、28日条を読んでみよう。(岩波文庫、昭和10)
四年秋九月辛巳朔己丑、詔して曰く、上古の治(くにをさむること)、人民所を得て、姓名錯(たが)はず。今朕践祚(あまつひつぎ)茲に四年になりぬ。上下相争ひて百姓安からず。或は誤りて己が姓を失ひ、或は故(ことたえ)に高き氏に認む。その治に至らざることは、蓋し是に由りてなり。朕不賢(をさなし)と雖も、豈其の錯を正さざらむや。羣臣議り定めて奏せ。羣臣皆言さく、陛下(きみ)失(あやまち)を挙げ枉(まがれる)を正して氏姓を定めば、臣等冒死(かむがむつかまつらむ)と奏すに、可(ゆる)されぬ。
戊申、詔して曰く、羣卿百寮及び諸国造等皆各言さく、或は帝皇の裔(みこはな)、或は異しくして天降れりと。然れども三才(みつのみち)顕分(わか)れてより以来、多く萬歳を歴ぬ。是を以て一氏蕃息(うまは)りて、更に萬の姓と為れり。其の実を知り難し。故れ諸氏姓の人等沐浴(ゆかはあ)み斎戒(きよまは)りて、各盟神探湯(くかたち)をせよ。則ち味橿丘(あまかしのおか)の辞禍戸岬(ことのまがとのさき)に於て探湯瓮(くがべ)を坐ゑて、諸人を引きて赴(ゆ)かしめて曰く、実を得ば則ち全く、偽れる者は必ず害れなむ。〔盟神探湯、此をクカタチと云ふ。或は埿(うひぢ)を釜に納れて煮沸(にわか)して、手を攘(かか)げて湯の埿を探り、或は斧を火の色に焼きて掌に置く。〕是に諸人各木綿手繦(ゆふだすき)を著けて釜に赴きて探湯(くかたち)す。則ち実を得る者は自らに全く、実を得ざる者は皆傷れぬ。是を以て故らに詐る者は愕然(おどろき)、予め退きて進むこと無し。是より後、氏姓自らに定まりて、更に詐る人無し。
9日、天皇はおっしゃった。
「かつて人々は身のほどをわきまえて氏姓の乱れはなかった。私が皇位について4年になるが、争いによって人々は苦しんでいる。手違いで自分の姓を失ったり、わざと身分の高い氏を名乗ったりする者もいる。国が治まらないのは、このためである。私は未熟ではあるが、どうして不正をたださずにおれようか。臣下たちよ、話し合って考えを述べよ。」
臣下たちは申し上げた。
「陛下が過ちを挙げ氏姓の不正をただせば、私どもは生命に危険が及ぶくらいでございます。」
天皇は妥協しなかった。
28日、天皇はおっしゃった。
「臣下たちや諸国の豪族は、天皇の子孫だとか天から降った神の子孫だと言っている。しかし、天・地・人が分かれてから、ずいぶんの時を経た。そのため、一つの氏は分かれて、さらに多くの姓になっている。誰が真実を述べているのか、知ることは難しい。そこで、それぞれの氏姓の者たちは、体を清めて盟神探湯(くかたち)をせよ。」
そこで甘樫丘の辞禍戸岬に釜を据えて、人々を引き連れて行き、次のようにおっしゃった。
「真実を述べる者は無事で、ウソを申す者は火傷するだろう」
〔説明しよう。盟神探湯(くかたち)とは、真実を明らかにするために、泥を釜に入れて沸かして手で泥をすくいとったり、斧を真っ赤に焼いて手のひらに置いたりする裁判である。〕
人々はコウゾで作った木綿だすきをつけて釜に行き盟神探湯を行った。すると、真実を述べた者は無事で、ウソをついた者はみな火傷した。このため、ウソで押し通そうとしたものはビックリして後ずさりし、前に出ることはなかった。この後は、氏姓は正しく名乗られるようになり、詐称する人もいなくなった。
天皇が正常化した身分制度や盟神探湯という呪術的な裁判には今日的な意義はないが、秩序を回復するために発揮したリーダーシップは評価できる。裁判の過酷さを演出し不正に対する抑止効果を高めるとは、なかなか計算高い天皇である。
さて、冒頭で話した現代日本を揺るがす不正スキャンダルである。美しい物語として語られている時は花だが、いったん不正が発覚すると容赦ない。マスコミ報道は現代の盟神探湯なのだろうか。リケジョもベートーベンも人々を勇気づけてくれたことは事実だ。再起を願うばかりである。