縄文式土器、弥生式土器、高床式倉庫、竪穴式住居とすべて「式」を付けて習ったが、最近は付けて呼ばないそうだ。例えば縄文土器のように。これは、亀ヶ岡式とか馬高式という細分類との違いを明確にするためとのことだ。亀ヶ岡は青森県つがる市の、馬高遺跡は新潟県長岡市の縄文遺跡である。遺跡の名称が土器の分類に使われているのだ。
ただし、最初に覚えた言葉は意外になかなか忘れない。ついつい縄文式などと「式」を付けて言ってしまう。古い奴だとお思いでしょうが、古い奴こそ古いものを追い求めるもんでございます。今日は旧石器時代の話である。
藤井寺市惣社二丁目に「国府遺跡」がある。国指定史跡である。
広々とした公園として整備され保存されている。昭和2年3月に建立された「国府遺蹟之碑」の裏には「是石器時代人骨七十餘體出土之地也」と刻まれている。発掘は大正5年に遡るというから遺跡としての歴史も古く、我が国における旧石器時代の存在の証左となる役割を果たした。
遺跡の全体像については、藤井寺市教育委員会の説明板に教えてもらおう。
藤井寺市惣社(そうじゃ)・国府(こう)周辺で、集落、墓、寺院など、旧石器時代から連綿と営まれた人々の活動の痕跡を残す埋蔵文化財包蔵地を「国府遺跡」と呼んでいます。
これまでの発掘調査によって縄紋土器や弥生土器とともに80余体にも及ぶ人骨が出土しました。そして玦状耳飾(けつじょうみみかざり)なども出土しています。縄紋土器包含層の下層からは旧石器時代の石器が見つかり、約2万年前にこの地で人類が活動していたことが明らかになりました。
また、国府の地名が示すように、古代における河内国府の有力な候補地と考えられています。
このような国府遺跡は、すべての人々共有の文化遺産として、人骨出土地点を含めて飛鳥時代創建と考えられている衣縫(いぬい)廃寺の推定寺域を中心に旧状の保存がはかられています。
旧石器、縄文、弥生から飛鳥時代と、多くの人々が生活を営み、その痕跡を残している。特に玦状耳飾は藤井寺市の市章のデザインに取り入れられるなど、地域の自慢の逸品に位置付けられている。
また遺跡名から分かるように、この辺りには河内国府があったようだ。それよりもっと、この遺跡の名を高めているのは「国府型ナイフ形石器」である。
ナイフ形石器には東山型、杉久保型、茂呂型など、いくつかの型式があるが、そのうち最も著名なのが瀬戸内技法で製作された「国府型」である。瀬戸内技法とはナイフ形石器の量産に適した製作技術で、石材のサヌカイトの性質をうまく生かしたものだ。同型の石器は瀬戸内地方に広く分布している。
当時の先端技術によって生み出された国府型ナイフによって、人々の食生活は豊かになったはずだ。その先端技術、瀬戸内技法は石を割るだけとはいえ、それほど簡単ではなく、かなりの熟練が必要なようだ。
再現が困難といえばSTAP細胞である。美しい研究者とともに大注目だったが、今や「ほんまかいな」と成果が疑問視されている。それでも、いつかは「最初はそうだよね」と笑って話せる日が来ることを信じてこの記事を終えたい。
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