黒田長政が福崎を福岡と改めたのは、かつて黒田家が住んだ備前福岡にちなんだという通説がある。しかし、歴史学者の実証的な研究によれば、備前福岡と黒田家の関係は疑問であり、福岡と改称された理由も定かではないという。つまり、あの大都市福岡の地名の由来は謎だということになる。
だから地名は面白い。今日は「朝倉」の地名をめぐる史跡である。朝倉市といえば三連水車が有名だ。三連水車ができたのは寛政元年(1789)だが、水車は宝暦年間からあったという。
かつての蒸気機関車の三重連はこれでもかというくらい力が入っているが、三連水車は流れに身をまかせてカラカラと回っている。見る者の気持ちまで穏やかにさせてくれるので、人が多く集まる。私は菱野の三連水車から少し車を走らせて、誰も見ていない久重の二連水車を写してきた。
朝倉市須川字鐘突に「朝闇(ちょうあん)神社」がある。御祭神は高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)である。
高皇産霊尊は世界最初の神の一柱である。読みのムスは「苔むす」と同じで生まれる、ビは日・火で、天地創造を意味するらしい。この偉大な神を祀る朝闇神社は、「ちょうあん」と読まずに訓読みすると「あさ」が「やみ」となる。
朝が闇だと、当然暗い。あさがくらいので「あさくら」ということだ。ダジャレではない。
朝倉市須川字鐘突に「長安寺(ちょうあんじ)廃寺跡」がある。朝闇神社のすぐ近くである。福岡県指定の史跡である。『続日本紀』大宝元年八月四日条に、大宰府の「観世音寺」と並んで登場する「筑紫尼寺」は、この地にあったとも伝えられている。
ここは奈良~平安時代にかけての古代寺院跡である。やはり寺名がポイントである。朝倉町教育委員会『あさくら町の歴史ものがたり』の解説を読んでみよう。
その昔は、朝の闇(やみ)と書いて「ちょうあん寺」とよばれていました。朝倉の地名のおこりは「朝闇(あさくら)し」がその起こりともつたえられています。いずれにしても文字の意味にはいろいろなことがらがふくまれているようです。
なるほど、長安=朝闇=あさくら=朝倉である。こじつけではない。それにしても、なぜ朝が暗いのか。寝起きで元気がないのではない。地図を見ると東に山がある。ということは、日の出の時刻から実際に日が当たるまでに時間がかかる。つまり、朝がすぐには明るくならないのである。
時系列に整理すると、「あさがくらい」「朝が闇(くら)い」「朝闇」「ちょうあん」「長安」となる。朝闇(あさくら)からは市名の「朝倉」が派生した。意味や音ですべてがつながっている。ということは、朝倉市は「長安市」なのだろうか。唐の都のような名称である。
長安寺跡のすぐ近くに「猿沢(さるさわ)の池」がある。奈良の興福寺の近くにある猿沢池(さるさわのいけ)に関係があるのだろうか。長安寺跡からは奈良時代の遺物が発掘されていることから、興福寺と同時代に栄えていたようだ。長安寺が興福寺に擬せられ、同様に猿沢池も築造されたのかもしれない。
消防水利の標識のある猿沢池は、山火事からこの地を守っている。古くからあるらしく、次のような伝説が伝わっている。説明板を読んでみよう。
この池は、昔から常に満々と水をたたえ今まで枯れたことがない。かんばつの時には、この池で雨乞いがなされ、池の水を汲むと大雨が降るといわれていた。
また、昔は池底がとても深く、つり鐘が埋められているという伝説があり、廃寺となった長安寺と関係があるのではないかと考えられる。
なお、近くには「朝倉橘広庭宮跡」をはじめ、斉明天皇が橘広庭宮におられたとき、御遊されたという、「花園山」「降葉山」「桂川」等の旧跡がある。
池の水を汲むと大雨になるという。長い歴史の間に霊力を得ているらしい。今も釣鐘は沈んだままなのだろうか。だが、見つけて引き揚げたとたんに霊力は失われてしまうのだろう。
コメントありがとうございます。
黒田如水の人間の大きさには感服しているところです。
創業者は偉大だと、つくづく思います。
投稿情報: 玉山 | 2019/07/23 19:41
福岡 というちめいそのものは 播磨=姫路の 福岡から来てます
黒田如水(官兵衛・孝高)は、播磨国(兵庫県)姫路城で生まれました。 豊臣秀吉の軍師として活躍し、九州征伐で恩賞を受け豊前国の6郡を与えられ、播磨国から豊前国(中津)へ移り治めたのが始まり。
投稿情報: 河童 | 2019/07/22 20:49