朝の連ドラ「花子とアン」が昨日27日で終了した。高視聴率のおかげで花子の友達の葉山蓮子こと柳原白蓮にスポットが当たり、当ブログの記事(白蓮の祖父について)へのアクセスも多くなった。ニュース上では、白蓮直筆の短歌が長野県飯島町、福岡県筑後市、大分県竹田市、北海道根室市などで見つかったことが報じられている。
白蓮は近代短歌の大家佐佐木信綱に師事した。その信綱が揮毫した万葉歌碑が、宇陀市大宇陀迫間のかぎろひの丘万葉公園にある。宇陀市指定文化財でもある。その歌とは…。
ひむがしの野にかぎろひの立つみえて かへりみすれば月かたぶきぬ
絵画的な色使いと動画的な空間の広がりが伝わる、あまりにも有名な作品で、学校でもよく教えられている。これは『万葉集』巻1(48)、柿本人麻呂の代表作である。
明石市人丸町の柿本神社の境内に「播州明石浦柿本太夫祠堂碑」がある。
大きな亀趺(きふ)の上に立つ重厚な石碑で、明石市指定文化財である。寛文四年(1664)に明石藩主松平信之が柿本人麻呂を顕彰するために建立した。
碑文は人麻呂とその歌が如何に優れているかを、言葉を尽くして述べている。最後にはちゃっかりと藩主の善政も称えている。撰文は林家二代の林鵞峰(がほう)である。1712文字よりなる碑文を誤らず読み上げると、台座の亀が動き出すと伝えられているが、そもそも漢文が読めない。
それでも、ゆっくり字面を追うと、柿本人麻呂の代表作について記述されていることが分かる。
就中明石浦朝霧扁舟歌者詞林之絶唱膾炙人口者也
就中(なかんづく)、明石浦の朝霧の扁舟(へんしゅう)の歌は、詞林の絶唱として人口に膾炙(かいしゃ)するものなり。
とりわけ、「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島がくれゆく舟をしぞ思ふ」という歌は、歌の世界においては非常に優れた作品として広く知れわたっている。
ほんのり明るくなって夜が明けそうだ。霧の中、小さな船が島影に隠れたよ。人生だねえ。よみ人知らずのこの歌が、平安中期の公卿藤原公任により「詞林の絶唱」とされたことについては、前回に述べた。
「絶唱」と聞けば、昭和50年の山口百恵・三浦友和主演の映画を思い出す。小雪と順吉の愛と死の物語で、木挽歌が二人を結ぶ絆であった。同名の原作を書いたのは現在の鳥取県西伯郡伯耆町出身の大江賢次である。大山(だいせん)桝水(ますみず)高原の桝水地蔵の奥に文学碑がある。原作には「葬婚歌」という章がある。
映画の影響か「絶唱」の語義は、「非常に優れた歌」というより「感情の入った歌唱」とのイメージが強い。そこで、改めて「詞林の絶唱」を考えてみよう。
かつては絵画的な美しさに価値が置かれていたのだろうが、各地の絶景をbingデスクトップで見慣れていると、普通に美しい風景を描くだけでは心は動かされない。それより、会者定離、つまり出会いとそれに伴う別れを技巧的に詠んだものであってほしいと思う。
おすすめな人麻呂の歌があるので一首紹介しよう。
近江(あふみ)の海(み) 夕波千鳥 汝(な)が鳴けば 心もしのに 古(いにしへ)思ほゆ
『万葉集』巻三(266)の歌である。かつてこの地にあった近江宮が今は荒れている。夕日に照らされ湖畔に遊ぶ千鳥たちよ、お前が楽しそうに鳴けば、むかしの繁栄を思い出して切ない思いがするよ。
千鳥の鳴声が切ない「泣き」の思いを呼び起こしていて、私の「絶唱」のイメージに近い。泣かせてほしいという勝手な期待があるのだ。「夕波千鳥」は人麻呂の造語ということだが、これが黄昏の切なさを印象深くしている。
「夕波千鳥」の歌こそ、人麻呂の代表作で「詞林の絶唱」だと思うのだが、いかがだろうか。お前の如き素人が判断することに非ず、と公任卿に怒られそうだ。
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