マーケティングリサーチの(株)ネオマーケティングは、昨年9月26日より29日にかけて、20~49歳の「上司がいる会社員」の男女600人を対象に、「上司」に関する調査を実施した。
あなたが上司にしたい歴史上の人物を教えてください。この問いで織田信長のランキングは第5位だった。確かに、リーダーシップは抜群だし、先見の明もある。
ただ、本当に上司だったらどうなのか。下々の部下の一員ならまだしも、直属の部下であれば、殿の言動に戦々恐々となることは必至、処世術に長けていることが必要だろう。
近江八幡市安土町上豊浦の安土駅前に「織田信長公」の銅像がある。
制作者は米原市の彫刻家、山口榮太郎さんで、平成25年度の滋賀県文化功労賞受賞者である。平成3年の作品である。廣済堂出版『日本の銅像完全名鑑』には次のように解説されている。
戦国の覇王。天下布武の旗印のもと、次々に近隣諸国を制覇し、安土山に居城・安土城を築いた。幸若舞の「敦盛」を舞っている姿を描写している。
ただし、平成6年に安土町役場が発行した観光パンフには「安土城築城を指図しているところ」とあるので、こちらが正しいのかもしれない。
安土は景色が広く、気持ちのよい散策ができる。下の写真は東海道本線をはさんで安土山を遠望した写真だ。
幸若舞「敦盛」とは何だろう。一ノ谷の戦いにおいて、源氏方の熊谷直実は平家の若武者を組み伏せた。名を聞けば平敦盛16歳だという。直実は同い年の我が子をこの戦いで失ったばかり。ためらいつつも泣く泣く敦盛の首を取った。
その直実の思いを表したのが「人間五十年」の有名な一節である。信長は「敦盛」を好んで舞ったといい、『信長公記』にも記録されている。巻首「今川義元討死の事」より
此の時、信長、敦盛の舞を遊ばし候。人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を得て、滅せぬ者のあるべきかとて、螺ふけ、具足よこせと、仰せられ、御物具めされ、たちながら御食を参り、御甲をめし候て、御出陣なさる。
花は桜木、人は武士。咲いているうちが花ぞ。者ども、いざ出陣じゃ。
これは旧安土町のマンホールの蓋である。「ANZUCCI」は安土で、かつて宣教師がそのように表記していたとか。「sewerage」は下水道である。
永楽通宝がデザインされているようだが、よく見ると穴が四角でない。これは刀の鍔(つば)である。どうやら国の重要文化財に指定されている「まけずの鍔」をイメージしているようだ。本物のデザインはもっと斬新である。
桶狭間の戦いを前に信長は、必勝を祈って永楽通宝を一握り投げ上げた。すると落ちた銭はすべて表を向いていた。戦いに勝利した信長は銀象嵌で永楽通宝を描いた鍔を作らせたという。縁起を担いでいるのであって、お金に目がくらんでいるのではない。
安土に行ったら、県立安土城考古博物館を訪れるとよい。ロマネスク建築のようなヨーロッパ風の建物である。信長と宣教師のつながりの深さを思い起こさせる。
戦国の舞台となった近江だけに、特別展などで取り上げられるテーマ、そして展示内容は秀逸である。今年の春季特別展は「戦国合戦のかたち-川中島合戦から大坂の陣まで-」だそうだ。
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