7冠を誇る井山裕太本因坊が昨日、5連覇を達成し、「永世本因坊」の資格を獲得した。囲碁は分からないが、向かうところ敵なしの状況で、とにかく凄いと思う。このような不世出の天才に、最高の名誉称号が授けられるというのだ。心から祝福したい。
豊島区巣鴨五丁目の本妙寺に「本因坊歴代の墓」がある。訪れたのはずいぶん前だ。
囲碁の世界には、かつて家元制度があった。その筆頭格を占めていたのが本因坊家である。家康に認められた一世本因坊の算砂(さんさ)以来、二十一世秀哉(しゅうさい)が世襲制の廃止を決断するまで、棋界に君臨した。
写真中央の墓が本因坊秀哉の墓である。敷石をはさんで右隣は本因坊秀栄で、十七世、十九世の本因坊である。秀哉の墓の後ろにある黒っぽい墓石が歴代の墓である。
本因坊秀哉は実力によって本因坊の名跡を継いだが、伝統と権威から離れ実力本位の称号とするため、日本棋院に名跡を譲渡した。その秀哉を、矢野由次郎『棋界秘話』(梓書房、昭和4)は次のように評している。
氷の如き感情、鉄の如き意思を以て一に芸、二に金、この金と芸とに精進したる不断の努力、この努力の結晶として斯道の名人ともなり且つ多少の貯蓄家となりたるは固より当然の仏果である。
囲碁にも金銭にも厳しい「不断の努力」家だったらしい。努力では負けない井山七冠も、栄えある系譜に連なることとなったのである。引退後か60歳以降、または9連覇を達成すると正式に「二十六世本因坊」を名乗ることができる。
二十一世秀哉は厳格な人だったようだが、井山七冠はお笑いとお酒が大好き!彼はまだ27歳。これからどのような偉業を成し遂げるのであろうか。「二十五世本因坊」の趙治勲が「彼は一次元上の存在」と認めるくらいだから、正式な名乗りもそう遠くないかもしれない。