本日は「山の日」。今年から施行された新しい祝日である。「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」のが趣旨だが、8月11日にゆかりの出来事があったわけではない。お盆休みを長くしようという極めて現実的な意図もあったようだ。今回は「山の日」実施を祝して、ある火山をレポートする。
かなり前には、三瓶(さんべ)山は「死火山」と呼ばれていた。有史以来噴火したことのない火山を、そう呼んでいた。しかし、一昨年に甚大な被害をもたらした御嶽山も、昭和54年に有史以来初の噴火を起こすまでは「死火山」とされていた。
今、三瓶山は火山噴火予知連絡会選定の活火山であり、観測が続けられているが、特段の変化はないようである。
大田市三瓶町志学に「室ノ内(むろのうち)展望所」があり、とても眺めがよい。リフトで登ってすぐ行くことができる。
三瓶山はいくつかの山で構成され、主峰で1,126mの男三瓶のほか、女三瓶、子三瓶、孫三瓶、太平山、日影山がある。私は展望所で写真を撮った後、854mの太平山の登頂に成功した。と言っても歩いて少しの場所だ。
遠くからもよく見え、島根県を代表する山として知られるが、県の最高峰ではなく、中国山地の脊梁(せきりょう)部からも外れている。中国山地は地殻変動による隆起で生成したが、三瓶山は噴火によってできた独立峰なのである。
今日に至るまでに三瓶山では7回の火山活動があった。『わたしたちの三瓶山』(大田市教育委員会)に掲載されている年表が分かりやすいので紹介しよう。
10万年前 最初の活動。多量の軽石と火山灰を噴出
7万年前 カルデラを形成した大噴火
3万年前 軽石を噴出する噴火
1万6000年前 軽石と火山灰の噴出と、日影山の形成
1万年前 小規模な活動
5500年前 溶岩噴出で溶岩円頂丘を形成
4000年前 溶岩噴出で溶岩円頂丘を形成
このうち、10万年前に噴出された三瓶木次(さんべきすき)軽石(SK)は遠く東北地方でも確認ができ、地層の年代指標になっている。7万年前の噴火では直径5kmのカルデラが形成された。
今、私たちが見ている三瓶山は、5500~4000年前に形成された溶岩円頂丘である。雲仙普賢岳で有名になった溶岩ドームのことだ。こうした火山を「トロイデ型火山」と呼んでいたが、最近は言わないらしい。
大田市三瓶町多根の三瓶小豆原(あずきはら)埋没林公園に「埋没樹の根株」がある。樹種はスギである。周辺からは何本もの巨木が立ったままの状態で発見されている。これら「三瓶小豆原埋没林」は、国の天然記念物に指定されている。
高さ40m前後に達する見事な巨木だったと推定されている。実はこの根株が三瓶山噴火の証人だというのだ。三瓶小豆原埋没林公園のリーフレットは次のように説明している。
巨木の掘り出しと同時に詳しい調査が行われました。放射性炭素を使った年代測定は、森が4000年前に埋もれたことを示しました。これは三瓶火山最後の噴火と一致します。
そうなのだ。近年まで生えていたように見える根株は、4000年前に溶岩ドームができた際の土石流と火砕流によってタイムカプセルのように封じ込められていたのである。
4000年前、日本は縄文人が平和に暮らしていた。平和? 戦乱の記録がないからといって、平和だと判断するのは早計だろう。火山が噴火するのである。予期せぬ自然災害の影響を直接受けるのである。
雄大な三瓶山を見ていると、心に安らぎを覚える。しかし、その形成には激しい大地の変動があった。そして、これからも動き続けるだろう。上を向いて歩こうもいいが、足元を見つめることも忘れてはならない。
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