レンコンは穴が美味いそうだし、Webデザインは余白が美しいという。「ない」から素晴らしいと評価されるのは短詩形文学の世界でも同じこと。以前に一行詩の文学碑を紹介したことがある。その記事では、尾崎放哉の自由律俳句から話を起こした。今日は、放哉の生まれ故郷を訪ね、最後の句といわれる作品を紹介しよう。
鳥取市栗谷町の興禅寺に「尾崎放哉句碑」がある。昭和5年の建立だという。
さらりと書かれた美しい字で、余白とのバランスもちょうどよい。その句とは…。
はるの山のうしろから けむりが出だした
これは大正15年4月7日に小豆島で亡くなった放哉が、最後の最後に残した句だという。享年41であった。句碑がここ興禅寺にあるのは、この寺の墓地に尾崎家の墓があるからだろう。
句集『大空(たいくう)』には、「春の山のうしろから煙が出だした」と表記されている。どのような思いで作句したのだろうか。
時は春、里山の向こうから煙が立ち上ってきた。そのままと言えば、確かに叙景そのもので、絵にもなりそうだ。優しい稜線を描いて、春らしい淡い色彩に仕上げよう。向こうから昇る煙は白く、少し霞んだような空の色に溶け込んでいくイメージだ。
解釈が分かれるのはここからである。自分の体調を自覚していた放哉は、「煙」を見てどう思ったのか。山の向こうでは、おそらく春の草焼きをしていたのだろう。調子は悪かったが、冬を越すことができた。さあ、萌え出づる春だ。俺も生きるぞ。「風立ちぬ、いざ生きめやも」と同じ心境である。
別の見方もできる。体調のすぐれない放哉は、立ち上る煙から自分を焼く煙を連想し、死期の近いことを悟った。この春の山が今生の見納めになるだろう。あの世にも春はあるのだろうか。
もう一つ気になることがある。「春の山」は、小豆島の実景の山だったのか、それとも死を前にして想起した、ふるさと鳥取の山だったのだろうか。
また表現においては、「煙が出ている」という静的な描写ではなく、「煙が出だした」という変化を捉えたことで、句が引き締まっている。
放哉は景色の中の変化を、自分自身に起きる変化と重ねた。さらに、その変化は、これから私に起きるであろう何事かを示唆している。願わくは、ささやかなこの人生に、幸多からんことを。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。