先月24日、今年の沢村賞に広島のジョンソンが選出された。プロ野球投手最高の栄誉である。一時は「該当なし」の観測もあったが、15勝で防御率2・15とリーグ優勝に貢献したことが評価された。
戦前の名投手・沢村栄治を思わせる先発完投型の投手に授与されることとなっているが、「先発、中継ぎ、抑え」の分業制が当たり前になっている今日にあっては、選考がずいぶん難しくなっているようだ。
伊勢市岩渕一丁目に「澤村榮治生家跡」がある。石碑の上には「G」の文字、ボールには「14」と刻まれている。もちろん、ジャイアンツで背番号14を表している。
今は駐車場になっているが、「『澤村投手の生家』がここに建っていました」と、かつての生家の写真が掲示されている。八百屋だったようだ。石碑の説明板には、次のように記されている。
沢村賞制定のもとになった大投手でプロ野球の投手が憧憬する澤村榮治
「大正六年(一九一七年)二月一日 父賢二 母みち江の長男としてこの地で生まれ育つ」
昭和十九年十二月二日 二七歳の若さで、台湾沖にて戦死を遂げる。
彼の偉業を称え、この碑を建立する。
澤村榮治顕彰会
史上初のノーヒットノーラン、プロ通算5年で、通算63勝22敗。中京大スポーツ科学部の湯浅景元教授の推論によれば、球速は160.4キロだとか。これをレジェンドと言わずして何と言おうか。
近くの明倫商店街は「澤村榮治生誕の街」を売りに活性化を図っている。商店街を歩くと、こんな秀逸な顔ハメがあった。
ジャイアンツの沢村栄治とタイガースの西村幸生が並び、顔をハメる人は両投手とバッテリーを組むという趣向だ。沢村と西村はともに伊勢の出身でライバルだった。悲しむべきは二人とも戦死していることだ。
近年は、沢村賞の選考基準の一つ「10完投以上」が至難の業となっている。野球の試合は組織で行うのだから、最近よく聞く「勝利の方程式」という分業は、実に理にかなっている。
だが、先発完投型投手がマウンドに立つ姿は、実に絵になるし、何より期待が高まる。野球を観る者は、単に勝利を求めているのではなく、ドラマを求めているのだ。メークドラマを追求する、それがプロだろう。
分業と協業によるプロ野球投手のマニュファクチュア化は、労働を没個性化するような気がしてならない。
どのような分野の歴史にも「英雄時代」がある。プロ野球でもそうだ。彼らレジェンドが活躍したのは、まさにそんな時代だった。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。