競馬はしたことがないが、大井競馬場では毎年秋に「池月・磨墨賞競走」というレースがあるらしい。この「池月(いけづき)」と「磨墨(するすみ)」は日本史を代表する名馬の名前だ。源平合戦の名場面の一つ「宇治川の先陣争い」に登場するが、競馬のように陸上で馬が競ったわけではなく、川の中での過酷なレースであった。
郡上市明宝大谷の道の駅明宝に「名馬磨墨之像」がある。大きな道の駅で「磨墨の里公園」とも呼ばれている。
迫力ある騎馬像なら、湊川公園や皇居外苑の楠木正成像が有名だ。人馬一体の姿ではあるが、主役はあくまでも人だ。ところが磨墨像では人は脇役、とはいえ、こちらも武者姿を見事に活写している。原型制作は高岡銅器の石黒孫七である。この武者は誰なのか。説明板を読んでみよう。
この像は宇治川の先陣争いを題材に、名馬「磨墨(するすみ)」と騎馬武者の勇姿を表現したものである。「宇治川の合戦」は、寿永二年(一一八四)一月木曽義仲軍勢と源義経軍勢が宇治川をはさんで戦った。この時、源義経がたの武将、梶原源太景季は「磨墨」を佐々木四郎高綱は「生唼(いけづき)」を駆って宇治川に乗り入れ先陣を争った。磨墨と生唼は、当代きっての名馬の争いでもあった。梶原源太景季の乗ったする磨墨は、馬産地明方村気良の産と語り伝えられ轡(くつわ)も残っている。
また、夏の郡上踊り春駒の一節に「郡上は馬どこあの磨墨の名馬だしたも気良の里」と唄われている。
この像が永く明方村の歴史を伝え、村民の心に生き続けることを願うものである。
平成元年四月吉日
まず「明方村(みょうがたむら)」について説明しよう。この村は平成4年に「明宝村(めいほうむら)」と改称し、現在は郡上市の一部となっている。明宝ハムや明宝トマトケチャップはテレビ番組で紹介されるほど有名だ。
その明方村気良(けら)、今の郡上市明宝気良で磨墨は産まれたのだという。あの有名なオグリキャップも県内の笠松競馬場でデビューしたというから、美濃は名馬輩出の地である。さっそく気良に行ってみることにしよう。
郡上市明宝気良に「名馬磨墨生誕之地」という石碑がある。隣りは「郡上は馬どこ…」という郡上おどり「春駒」の歌詞の石碑である。
説明板には、この地が馬の産地になった理由が説明されている。
元来この地は、寒冷、高燥かつ石灰分に富む良質な草が得られ、幕藩時代からこの度の大戦頃まで、高名な馬の産地であり、また往時のいわゆる鎌倉街道筋と言われることからも、何らかのかかわりがあって、磨墨が源頼朝公の手に渡ったのである。その後は、梶原景季の馬として幾多の戦いに活躍し、最後は尾州羽黒(現在の犬山市)で没したと言われており、その英霊は、梶原家の菩提寺興禅寺に手厚く祀られている。
ここにあるように、犬山市羽黒摺墨(はぐろするすみ)の磨墨塚史跡公園には磨墨の墓碑がある。興禅寺もすぐ近くだ。このブログでも「東京は名馬の産地だった」で磨墨塚をレポートしたことがある。こちらは大田区だから、大井競馬場のレースはこれにちなんでいるようだ。
宇治川における磨墨と生唼の競争、つまり梶原と佐々木の先陣争いは佐々木の勝利となる。しかし、それは騎手梶原が駆け引きに負けたのであって、磨墨が遅かったわけではない。今回の総選挙においては、安倍首相と小池都知事が政治生命をかけた勝負に出たが、結果はご存じのとおりだ。実力だけでなく駆け引きに長けているかも勝敗を決するのである。
佐野市飛駒町の多高山には「紅葉の馬」の姿が浮かび上がるそうですね。行ってみたいものです。ご教示くださいまして、ありがとうございました。
投稿情報: 玉山 | 2020/06/28 18:52
間違えだらけです
いけづきとするすみは現在栃木県佐野市飛駒町で産まれました
嘘だと思う方居ましたら来てみてください。
いけづきとするすみが走っていた道は現在でも存在する
投稿情報: 長安 | 2020/06/27 18:26