国境をリフトで越えるなんて、なんてステキなことだろう。そんな夢を叶えてくれるのが、須磨浦山上遊園の観光リフトだ。「せっつ駅」から乗って「はりま駅」で降りると、摂津国から播磨国へ渡ることができる。摂播国境を楽しんでいるのは私だけではない。あの松尾芭蕉は、このように一句ひねっている。
神戸市須磨区西須磨に「松尾芭蕉句碑」がある。
芭蕉の句には、動画的な描写がよく見られる。この句もそうだ。読んでみよう。
蝸牛(かたつむり) 角 ふりわけよ 須磨明石
カタツムリが角を伸ばして左右に動かしている。こっちが「須磨」、あっちは「明石」やで。軟体動物まで国境を意識しているとは。
実際の国境は、もう少し西の境川という谷川である。この川の向こうは「明石」ではなく神戸市垂水区だ。だが垂水区はかつて播磨国明石郡だったから、カタツムリが振り分けた「須磨明石」で間違いない。
この句は句集『猿蓑(さるみの)』に、次のような詞書とともに掲載されている。
此境はひわたるほどゝいへるも、こゝの事にや
この国境は「這ひ渡るほど」といわれるが、ここの事だろうか。この表現は『源氏物語』「須磨」の一節に由来している。
明石の浦は、ただはひ渡るほどなれば、良清の朝臣、かの入道の娘を思ひ出でて、文など遣りけれど、返り事もせず
須磨から明石の浦までは気軽に歩いて行けるほど近いので、家来の源良清は明石入道の娘を思い出し、手紙を送るのだが返事がない。この恋の行方が気になるが、芭蕉の句はこれに関係なく、距離の近さを示す引用である。
神戸市須磨区須磨寺町一丁目の現光寺境内に「松尾芭蕉句碑」がある。
こちらは須磨を代表する名句として知られる。読んでみよう。
見渡せば ながむれば 見れば 須磨の秋
ふつう俳諧は五七五だが、こちらは五五三五で三句切れという、異調ながらリズムのある面白い句である。藤原定家の名作「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ」をふまえている。古典の鑑賞には古典の教養が必要だ。『なんとなく、クリスタル』を読むのに、1980年当時の最先端の知識が欠かせないの同じである。
『源氏』や「定家」を下地に「芭蕉」が仕上げ、須磨は古典文学の聖地となった。去りゆく秋を惜しみつつ、今回はこのあたりで擱筆することとしよう。
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