信仰は神仏に対する心の持ちようだから、現実の視覚情報に左右されることはない。果たしてそうか。目にするものと感じ方は密接なつながりがあり、ふつうの形はふつうにしか感じないし、特別なカタチには特別の念を抱くのである。信仰とデザインを考える意味はそこにある。
「南無阿弥陀仏」は念仏といい、阿弥陀仏への帰依を誓う言葉である。文字情報としては、このフォントのように正確に読めればよいだろう。だが、文字を目にした人が「あぁ、ありがたや」と信仰心を抱くには、ひと工夫必要となる。
芦屋市打出小槌町に「徳本(とくほん)上人名号塔」がある。
徳本上人という偉いお坊さんがいた。浄土宗の行者で各地を巡り、多くの信者からの崇敬を受けた。文政元年(1818)になくなったので、今年は没後200年となる。
実は、上人の顕彰活動は昨年のほうが盛んだったのだが、それは200回忌の年だったからである。没後200年と200回忌は1年ずれを生じる。周年は0を数えるが、回忌では0を数えず1から始まる。亡くなって丸二年が三回忌とは、そういうことだ。
では、名号塔に注目しよう。碑面には「南無阿弥陀仏 徳本(花押)」と刻まれているのに過ぎないのだが、魅力はその独特の書体「徳本文字」にある。近くに寄って見てみよう。
丸くて可愛いような、踊っていて楽しいような、目にすると忘れられない書体である。文字の意味する情報よりも、刺激的なデザインに心奪われてしまうのだ。日蓮宗の「髭題目(ひげだいもく)」もそうだが、書体そのものに信仰の要素があるような気がする。
芦屋市前田町に「芦屋仏教会館」がある。国登録有形文化財である。
建築意匠も信仰に与える影響が大きい。寺院や教会の建物から荘厳な雰囲気を感じるのがそうだし、ステンドグラスや金色の仏具の輝きに神秘を感じるのもそうだ。一見、教会を思わせる芦屋市仏教会館とは、何だろうか。
この会館が発行した梅原真隆『十七条憲法講讃』(昭和11)では、次のように記されている。
近代的に展開して行く阪神の要衢(えうく)に聳(そび)ゆるこの仏教会館、この虔(つゝま)しい讃仏と聞法の聖堂こそ、仏陀冥護したまふところであり、人天の恭敬するところであります。
かゝる稀有の献供せられた伊藤翁の道心と、これを随喜協賛せられた関係各位の奉仕とは、みなこれ仏天の嘉納したまふところであります。
昭和2年、丸紅商店(現丸紅)の社長である伊藤長兵衛は、仏教思想による啓蒙活動を行うために、芦屋仏教会館を設立した。特定の宗教に属さないが、聖徳太子像をお祀りしている。今もむかしと変わらぬ理念で活動が行われている。
西洋建築に東洋風とも印度風とも言われる意匠を取り入れたRC造3階の建物である。ステンドグラスがあって、教会の雰囲気に近い。設計は片岡安(やすし)で、代表作には大阪の中之島公会堂がある。
もちろん、どんな場所にあっても祈りは可能である。私たちは雑念を払うために目を閉じて祈るが、美しいデザインを見ると気分が高揚するのも事実だ。文字であれ建築であれ、優れたデザインは、信仰に向かう環境の重要な要素と言えるだろう。
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