トレジャーハンターに朗報だ。財宝の在りかは、歌に暗示されていた。「朝日さし夕日かがやく木の元に」などと言うから、東西が見渡せる高台のようだ。
ただし、これは全国各地で語られている朝日長者伝説で、実際にお宝が見つかったという話は聞いたことがない。
芦屋市春日町に市指定史跡の「金津山(かなつやま)古墳」がある。かつては二重周濠を持つ帆立貝形古墳で、五世紀後半の築造と考えられている。
二重周濠は機内政権とのつながりを示していると考えられる。五世紀は倭の五王の時代だから、金津山の被葬者も大王の覇権確立に協力していたのだろう。
だが説明板には、もっと面白い話が紹介されている。
金塚(かなづか)、黄金塚(こがねづか)を別称にもつ市内最大の墳丘を残す古墳で、昔々打出の村人を愛した阿保親王が万一の飢餓に備えて財宝をこの塚に埋めたという伝説があります。
周濠部分の調査をくり返し、全長55m、後円部径40m、前方部長15mの前方後円墳であることが判明しています。
阿保親王と芦屋は、深いつながりがある。本ブログの記事「二度の政変に遭った親王」に書いたとおりだ。打出村においては、親王は心優しい領主さまとなっている。
どのような財宝を埋めたのか。伝説の詳細は、元禄十四年(1701)成立の『摂陽群談』に求めよう。その巻第三「山の部」金津山の項である。
兎原郡打出村に向ふ北の岡山也。所伝云、阿保親王此岡山に於て、金瓦一万、黄金一千枚を埋せ。此里飢餲に及ふ時、是を掘〔手へん+弃〕て飢を養へしと也。因て金津の号あり。土俗三十一文字を以て、伝之云、「朝日さす入日輝この下に、金千枚瓦万枚」云々。
金津山黄金伝説である。それゆえか、古墳はフェンスで囲まれて入れないようになっている。『摂陽群談』に記されてから300年以上も盗掘されなかったのが不思議なくらいだ。
おそらく、「万一の飢餓に備えて」という阿保親王の言いつけを、地域の人々が固く守っているからだろう。飽食の我が国とて、将来にわたって飢餓状態に陥らない保証はない。万が一のその時にこそ、阿保親王に感謝しつつ金津山を発掘するのである。
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