広島が臨時首都となった日清戦争、我が国が坂の上の雲をつかもうとした日露戦争。そのころ宇品(うじな)港は、たくさんの兵士を送り出す軍港で、横浜や神戸に劣らぬ我が国を代表する港であった。現在は広島港として自動車の輸出や四国や瀬戸内の島々への旅客ターミナルとして賑わっている。
宇品へ行くには、広島駅から広島電鉄の5号線(広島港行き)に乗ればよい。皆実町六丁目電停から先は宇品線を走る。この「宇品線」、国鉄にも同名の路線があった。本日はその跡地を訪ねよう。
広島市南区段原南二丁目に「宇品線記念碑」がある。矢印の方向が宇品方面である。
ここはかつての南段原(みなみだんばら)駅と上大河(かみおおこう)駅の間にあたる。記念碑から得られる情報は次のとおりだ。
蒸気機関車(D51)の絵
惜別 宇品線記念碑
92年間の健闘に感謝
明治27年(1894)~昭和61年9月30日(1986)
開業年がこの路線の役割を象徴している。明治27年8月1日に我が国は清国に宣戦布告し、日清戦争が始まる。ちょうど山陽鉄道が広島駅まで開業したばかりだったので、さらに宇品港まで軍用線を敷き、兵士や物資の輸送をすることとした。宇品線は突貫工事により同月21日に開業した。
旅客営業が行われたのは明治30年からだが、大正4年に広島電気軌道(今の広電)で宇品港に行けるようになったこともあってか、大正8年には貨物線となる。昭和5年には旅客営業が再開され、原爆時には多くの負傷者を運んだという。戦後は賑わったようだが、やがて全国有数の赤字路線となり、昭和41年に一般旅客営業が廃止され、定期券客に限って広島ー上大河を運行した。これも長く続かず、昭和47年には旅客営業が全面的に廃止となり、貨物線として昭和61年まで存続した。
以上が92年間の歴史である。このあたりは再開発により、往時の面影は残っていない。どこまでも瀟洒な都会である。記憶に留めておくべきは、日清・日露戦争の兵站拠点であった宇品港に向かう重要路線だったことだ。今は平和に見える街路。その先を進んで行き着くのは、大陸での戦争であった。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。