野田のしょうゆ会社として有名なキッコーマンは、漢字なら「亀甲萬」と書く。確かに、亀の甲羅の模様を思わせる六角形のマークの中に萬という漢字がある。「亀は万年」というおめでたい意味があるようだ。
「亀甲」は、「きっこう」と読めば亀の甲羅か六角形の亀甲文を指すが、「かめのこう」と読めば地名であり駅名となる。JR津山線の亀甲駅は、亀の姿をした衝撃的な駅舎で知られている。駅には亀のオブジェもあれば本物のカメもいる。そして近くには岩まである。
久米郡美咲町原田に「亀甲岩(かめのこういわ)」がある。それらしい形をしているが、亀甲文はない。
地下にどのくらい続いているのかと思わせる大きさだ。氷山の一角ならぬ亀甲岩の一角が現れている。ガガガガガ…。大地を割って岩が出現した!と言っても真実味さえ感じられる形状だ。どのような伝説があるのか、説明板を読んでみよう。
亀甲岩の伝説
昔日本回国の六部がここ久米郡中央町原田の地で行き倒れた。それを里人があわれみ遺体をこの地に埋葬したところとある蒼い月の夜、巨大な岩が弘法大師の尊像を乗せて地上にせり上がったという。
その岩の形が亀の甲に似ているところから「亀甲岩」と呼ばれ、やがて「亀甲」という地名に使われるようになった。
また、一説には稲荷山城主であった原田三河守の愛娘作州は、東の方新免伊賀守に嫁いだ。父はたびたび里帰りをしてほしいので、立派な別荘を造ることにした。その屋敷に大きな岩が出て、形が亀に似ているので、原田三河守は吉兆であると非常によろこび、大切に残したという。屋敷の跡はないが岩のみが残っている。その岩が亀甲岩だといわれている。
中央町教育委員会
動物が岩と化したという伝説はよくあるが、ここでは二つとも岩が出現したと語られている。まさか地震で隆起したわけではあるまい。そう見えたのだろう。伝説には亀の甲羅に似た岩が出てくるだけで、動物のカメは登場しない。それでも亀甲駅はカメまみれになって盛り上がり、マンホールでは亀キャラ「かめっち。」がピースをし、「食堂かめっち。」はたまごかけごはんで大繁盛だ。
亀甲岩を愛でたという原田三河守、その娘婿の新免伊賀守はともに美作の国人で、宇喜多方について戦国の世を生き延びた。地域の信仰や歴史と結び付けられながら語られた亀甲岩。亀は万年というが、亀甲岩が実際に出現したのは何万年前のことだろうか。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。