屋根より高い鯉のぼりを私も揚げてもらった。庭先に大きな柱があり、そこに長い竿が取り付けられていたように思う。近ごろの住宅地では、ベランダに設置できる小さなものが好まれているようだ。使われなくなった大きな鯉のぼりは、川や谷を渡る長いロープに何旒も吊るされ、圧巻の泳ぎをしている。このブログでも「こいのぼりの泳ぐ棚田」を紹介したことがある。
鯉のぼりは、なぜ「鯉」なのか。高級クロマグロでもいいし、めでたい「鯛」でもよい。まさか、広島カープの応援をするために「鯉」が選ばれたわけではあるまい。
そういえば、鯉が上に向かって泳いでいる絵を見たことがある。鯉の滝登りだ。鯉は滝を登って竜になるといい、登竜門の由来となっている。子どもの成長を祝うのだから、大人が食べて美味しい魚ではなく、立身出世する魚がふさわしいだろう。
三原市高坂町許山(たかさかちょうもとやま)に「昇雲の滝」がある。滝見台から見ても滝は見えない。
下へと長く続く遊歩道を通って、滝壺に降りてみることにしよう。
滝は何段にもなっているようだが、最下部がかろうじて見える。三原市の公式サイトによると、高さは約80mあるそうだ。古い本を調べてみると、次のように紹介されていた。清水吉康『大日本名所図録 広島県之部』(大成館、明治34年)より
三級瀧
高坂村大字許山ノ山中ニアリ高三十六丈幅三間ニシテ仏通寺川ノ源タリ
三十六丈という高さは109mになるが、仏通寺川の上流に位置するので、確かに「昇雲の滝」の説明だろう。ところが滝名が「三級の滝」である。一級、二級の次にランクされる三流の滝かと思ったら、そんな意味ではない。
「三級浪高魚化龍」と書いて「さんきふなみたこうしてうをりょうとけす」と読む禅語(『碧巌録』第七則)がある。簡単に言えば鯉の滝登りのことで、「三級」とは三段の滝である。つまり、必死の努力が成功につながる、という元気が出る言葉である。
ところが、これには続きがあり、「癡人猶戽夜塘水」と書いて「ちじんなほくむやたうのみづ」と読む。愚者は夜に池の水を汲み出して鯉を捕まえようとしている。もうすでに鯉は竜となっていなくなったというのに。時代は先へ先へと進んでいるが、昔の成功にとらわれて、同じやり方ばかりを繰り返しているのだ。これぞ警句だ。
「昇雲の滝」という美しい名称もいいが、「三級の滝」という深い名もまたよし。通りがかりに偶然見つけた滝だったが、いい内容の記事に仕上がったとしたり顔になっている。それがいかに空虚なことかに私はまだ気付いていないようだ。
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