大雲寺交差点はある意味、岡山の中心である。というのも、ここを起点として南には国道30号、北には国道53号と国道180号が県外まで伸びている。そして、東から来た国道250号はここを終点とする。路面電車も路線バスも大雲寺前に停まる。交通の世界では岡山で最も名の知れたお寺である。
交差点近くに中国地蔵尊霊場の第2番札所の大雲寺があり、縁日の毎月23日は「日限(ひぎり)のお地蔵さん」としてお参りの人で賑っている。こちらも岡山で最も有名な地蔵尊である。日限地蔵は全国各地にあり、日を限って願い事をすればかなえられるという由来があるようだ。
津山市一方(いっぽう)に「日限り地蔵」が祀られている。大雲寺を起点とする国道53号沿いにあるのも何かの縁だろうか。
あふれんばかりのお地蔵さまがいらっしゃる。新しいのも多い。これは願いを込めて一体拝借して帰り、叶うと倍返しをする習わしがあるからだ。どのような願いが聞いてもらえるのだろうか。説明板を読んでみよう。
『むかし、皿川に琵琶が渕という渕があった。ここでは、毎年身投げをする人があとをたたなかった。なんとかして身投げをさせないようにしようと相談し村の人たちは、とむらいをしないという立札を立てた。その後は身投げをする人がぱったりといなくなった。喜んだ村の人たちは、そこに、延命地蔵をまつった。人々はいつとはなしに日限り地蔵とよぶように成った。』
ところがこの地蔵が部落の境にあったので、けっきょく二つに分けてまつることにした。
今の佐良神社のがけ下にあるのが本家で、すこし南の平福の道路ぞいにあるのが分家だといわれている。いつのころからか「日限り地蔵にお願いすれば、子どもがさずかるそうじゃ」
といううわさが広まっていった。評判を聞いて、子どものほしい人がつぎつぎにおまいりするようになった。
お祭り当日には、子ども達の健やかな成長と交通安全を祈って、ご祈とうをお願いしております。
岡山の民話より
皿川にあったという琵琶が渕は、皿大橋と大渡橋の間にあったようだ。地図で確かめよう。岡山からはるばる伸びてきた津山往来は、佐良山小学校の西側を通過する。そして、津山市皿交差点と皿大橋の間を抜けて間もなく国道53号に合流する。
このあと国道に沿って北上するように見えるが、実は合流地点の少し先のJR津山線に勝手踏切に続く丘に上がる坂道につながっているのだ。眼下には琵琶が渕が静かに広がっていた。崖上を通過した往来は平福踏切のあたりで線路と重なり、佐良神社の手前で再び国道に合流したのだろう。
このあたりが津山市平福と一方の境界である。最初にお地蔵さまが祀られた場所なのだろう。いつの頃か平福側と一方側との間に何らかのトラブルがあり、「お地蔵さまはわしらのもんや」と両者が主張した。そのため二つに分けることで決着したのである。本日紹介しているのは本家のお地蔵さまで、分家は少し南の国道西側にある。
日限地蔵は子宝に恵まれるという御利益があることが分かったが、「日を限る」という由来が分からない。調べを進めるうちに次のような記述を見つけた。岡山県歴史の道調査報告書第二集『津山往来』(岡山県文化財保護協会)より
昔、備前の武士が仇討の旅に出て、鳥取にかたきが居ると分かり、その道中琵琶ヶ淵の茶店で休憩し、日限地蔵の話を聞いて、一ヵ月の中にかたきを討つことができるようにと祈願して旅立った処、見事仇討がかなった、という伝説が伝えられている。
この武士も日限地蔵の話を聞いてお参りしているので、その由来はずいぶん古いのかもしれない。いずれにせよ、期限を設けるのは大切なことだ。特にビジネスの世界では期限がなければ仕事にならない。いつになったら提示されるのか、納品はまだなのか。
人生でも同じこと。いつの日か幸せをと願いつつ、死んでから極楽浄土へ行ったのでは遅いのだ。「お供えするから、この一か月で願いを叶えてよ。でなきゃ、ほかの仏さまを信じちゃうからね。」契約の考えに基づいた信仰である。
「いつの日か」といっても、いつのことか分からない。若いうちに子どもが欲しい。元気なうちに使えるお金が欲しい。現世利益を求めるなら「日を限って」日限地蔵さんにお願いするのがよいだろう。人生にも限りがあるのだから。
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