美しい景観をつくろうという意図はなく、生活上の必要に迫られて努力してきたことが、結果的に美観として評価されている。棚田はその典型例だろう。評価してもらおうと仕事を頑張るのではなく、目の前の課題に一つ一つ真摯に向き合ってきた結果を認められたら幸せなことだろう。私は棚田になりたい。
岡山県和気郡和気町田土(たど)に「田土の棚田」がある。合併前は佐伯町だった。
この日、私は大芦高原の方面から下りてきたのだが、等高線を思わせる風景を斜面に見て、思わず車を停めた。扇形に開けた谷に広がる棚田を高所から眺望できるので迫力がある。『角川日本地名大辞典33岡山県』の「田土」には、次のように記されている。
天神山・杉沢山の両山麓にまたがって位置する。谷の奥行きが深く砦の遺構が段状耕地・棚田として残っており、有名である。
浦上宗景の天神山城の麓に位置するが、曲輪が棚田になったわけでなく、「砦の遺構が」という部分はよく分からない。ともあれ、日本の棚田百選に入っていないのが不思議なくらいの雄大な景色を堪能できる。次は百選の棚田に行ってみよう。
岡山県久米郡久米南町北庄(きたしょう)に「北庄の棚田」がある。
棚田は訪れる季節によって、ずいぶんと違った姿を見せてくれる。私が津山への帰りに立ち寄ったのは、農閑期の夕方曇りだったが、田に水を張る時季ならばいっそう美しいことだろう。説明板を読んでみよう。
『日本の棚田百選』
北庄(日本一の面積)
1999年7月26日農林水産省により「日本の棚田百選」134地区(117市町村)の認定がされた。
久米南町では、北庄と上籾の2ケ所が認定され、当地区の面積は、88haであり日本一の面積となっている。「耕して天に至る」景観は心にあるふるさとの姿です。
(田の枚数=2700枚、農家戸数=92戸、平均勾配=1/7.5)
なんと「日本一の面積」ということだ。今見ている風景はほんの一部に過ぎない。しかし実はこの写真、二つの百選が写っている。農林水産省が平成22年に選定した「ため池百選」の「神之淵池(かんのぶちいけ)」である。説明板を読んでみよう。
ため池百選 神之淵池
平成22年3月選定
この池は、大正十三年(一九二四)の大旱魃を契機として、地域の農民が結集して立ち上がり、昭和三年の完成まで、五年の歳月を費やして築造したため池である。要した労役延べ五十万人、工費百一万円(現在の貨幣価値換算約三億五千万円)底樋四十八メートル、縦樋十九メートル。水際十五メートル、貯水量約十一万立方メートル。灌漑面積約四十ヘクタール。 土木機械というものが全くなかったその時代に、組合員が一丸となり、黙々と每日十時間の重労働に従った。千本突きと杵突きにより、三センチの鋼土が一センチ以下になるまで突き固め、コンクリート以上の硬度にするという、気の遠くなるような作業の積み重ねによって、高さ二十二メートル、延長百二十八メートルの堰堤を築き、八十年を怪た今日に於いても危険を感じる水漏れは全く生じていない。正に人間の「汗と脂と精神力」によって成し遂げた偉業を、目のあたりにする思いである。後年、岡山県知事萱場軍蔵は、この事業を「人間業の極致」と讃え、昭和天皇は侍従をご差遣になってお言葉を賜わった。この池の完成により、新しい開田二十一ヘクタールが生まれ地域の農家一戸当りの耕作面積は倍増し、単位面積当たりの米の生産量と、貯蓄高が県下一と謳われるまでになったのである。
海抜五百二十六メートルの笛吹山より受け、翠を湛えたこの水は、蜘蛛の巣のように張り巡らされた水路と、サイホンと、隧道を経て、起伏つねならぬ急傾斜地帯の水田の、隅々にまで届けられ、史蹟誕生寺を囲む疏水となり、岡山市に至るまでの灌漑に余慶を与え、上水道の水源ともなって、人々の生活と心を潤し続けているのである。
平成二十二年五月 久米南町・神之淵池用水組合
筆者の思いがよく伝わる名文で、こうした説明が百選入選の決め手だったように思える。特に最後の一文は、水の流れを紀行文のように情景豊かに描き、スケール大きくまとめている。
ため池の築造を「人間業の極致」と激賞した萱場軍蔵は昭和12年から14年にかけて県知事を務めた。最後は内務次官にまで上り詰めたエリート官僚である。第二次近衛内閣のもとで防諜週間を全国一斉に実施するなど戦時体制の強化に努めたため、戦後公職追放の憂き目を見た。
水は上から下へ流れる。棚田を潤した水は平地を流れて、やがて旭川に合流し、都市部の水源となる。同じように、富者がいっそう富めば、あふれた富が貧者に滴り落ちてくる、という経済理論がある。アベノミクスと結び付けて語られることの多いトリクルダウン理論だ。
金の流れを水の流れに見立てた分かりやすい例えだが、実際にはそんなことはない。貧しい者が汗と脂と精神力で稼いだ金は、仕掛けられた販売戦略によって富める者に回収されているのだ。美しく文化的に価値ある景観の紹介を、つまらない金の話で締めくくるとは、発想の貧者が為す業に他ならない。よい発想は、どこから滴り落ちてくるのであろうか。
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