トランプ大統領の功績は米朝首脳会談を実現させたことだろう。思えば2018年は希望の年であった。4月27日に板門店での南北首脳会談に続き、6月12日にシンガポールで米朝首脳会談が開催された。この間の5月24日、北朝鮮は豊渓里(プンゲリ)核実験場を爆破した。平和実現への意志を示したのである。
鳥取県八頭郡若桜町若桜と三倉、岸野の境に「若桜鬼ヶ城跡」がある。
高所にありながら城跡近くに駐車場があるのでアクセスは容易だ。大規模で眺望がよく、遺構もよく残っている。日本100名城の鳥取城に続いて、続日本100名城に米子城と並んで選定された。行かざるべからずのおすすめの城跡だ。説明板を読んでみよう。
国指定史跡 若桜鬼ヶ城(わかさおにがじょう)跡(指定年月日 平成20年3月28日)
若桜鬼ヶ城跡は播磨、但馬へつながる交通の要衝にある。そのため、戦国時代において戦国大名である毛利、尼子、織田などによる争奪戦が繰り広げられた。築城時期は不明だが、延徳元年(1489)の史料には「矢部館若狭」の記述があり、矢部氏によってこの頃には城が築かれていた可能性が考えられる。一時、山中鹿之助による尼子氏再興戦の舞台ともなったが、その後、羽柴秀吉による鳥取城攻めの際には織田方の拠点として機能し、天正9年(1581)に鳥取城が落城した後は秀吉の武将木下重賢(きのしたしげかた)、関ヶ原の戦後の慶長6年(1601)には山崎家盛(やまさききいえもり)が入城している。元和3年(1617)に池田光政が因伯2国を領す鳥取城主となると、一国一城令により廃城となった。
城郭の遺構は大きく二群に分けられる。山頂部から南北に延びる尾根の中腹から先端部にかけては堀切、竪堀が見られ、小規模な曲輪群が構築されている。また、山頂付近には、この付近で採取された石材を用いた石垣によって、虎口や天守台等が築かれている。その構造から前者は戦国時代の山城の遺構で、後者は近世初頭になって新たな築城技術で構築されたと考えられる。本丸の西側などかなりの石垣が崩れているが、これは廃城の際に意図的に壊された「破城」という行為の結果である。中世から近世にかけての城郭構造の変遷を窺うことのできる城として学術的な価値が高いだけでなく、破城の状況を今に留めており重要である。
平成29年3月 鳥取県教育委員会
因幡を守る重要拠点だったことが分かる。木下重賢と山崎家盛の両武将については後日扱う。城郭の変遷、そして終焉をも目の当たりにできる貴重な遺構だ。天守台まで行ってみよう。
2枚の写真は同じ天守台を異なる方向から見ている。麓から見える側は石垣が崩されている。これが「破城」、平和への意志表示なのだ。説明板を読んでみよう。
国指定史跡 若桜鬼ヶ城跡
本丸及び天守台
ここは鶴尾山(つるのおやま)山頂(標高452m)で、若桜鬼ヶ城の本丸のあった場所で、本丸の南側には天守台が築かれています。どのような建物が築かれたかは不明ですが、試掘調査により、山崎氏の檜扇(ひおうぎ)紋入りの軒平瓦や鯱(しゃち)瓦の胴部などが発掘されています。
若桜は但馬(現在の兵庫県北部)方面と播磨(現在の兵庫県南部)方面に向かう街道の結節点に位置しています。写真のようにこの地点からは両国に向かう街道がはっきりと確認でき、敵を確認する際は非常に有効な場所であることが分かります。若桜鬼ヶ城が当地に築かれた大きな要因の一つといえます。
平成27年8月 若桜町教育委員会
天守台の傍らには四等三角点「鬼山」446mがある。但馬方面及び播磨方面に向かう街道の結節点だという。説明板と同じ方向にカメラを向けてみよう。
但馬に向かうのは写真左奥に続く国道482号だ。但馬どころか丹後にまで続いている。右奥に延びるのは国道29号。私はこの道で播磨方面からここまでやってきた。交通の要衝であることが一目で分かる好写真だ。
これは三の丸に進入する枡形虎口である。近世城郭らしい重厚な構えだ。石垣が散乱しているのは破城の結果なのだろうか。その破城から免れた石垣があるというので、少し山を下ることにしよう。
若桜町三倉に「六角石垣」がある。目に優しい緑が重厚な石垣を包んでいる。
若桜鬼ヶ城跡のメインではないが、ここを訪れたなら是非とも見ておきたい美しい石垣だ。説明板を読んでみよう。
国指定史跡 若桜鬼ヶ城跡
六角石垣
本地点は鶴尾山(つるのおやま)の山頂から北西方面の登城路沿いに築かれており、郭(くるわ)の形状から 六角石垣(もしくは「六角石崖」)と呼ばれています。
当時の利用方法は不明ですが、立地等から山頂部を守るための拠点や敵を監視する物見だったと考えられます。六角石垣の石垣は積み方から山頂遺構より古い時代に構築されたと考えられ、石垣が破却されず、ほぼ完存した姿で残されています。また、郭の南側には土塁の一部が残されており、中世城郭としての側面も垣間見ることができます。
平成27年8月 若桜町教育委員会
城下から見えないのが幸いだったか、破却を免れて今に残る。そう考えると、核実験場の破却は見せることが目的であって、見えない場所に核施設がまだまだあると想像される。まあ政治の世界なのだから、平和を希求するなど額面通りに受け取ることはできない。なにせ、大東亜戦争でさえ「東亜永遠の平和を確立」すると言っていたのだから。
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