高橋名人はファミコンの人だが、中原名人は将棋のレジェンドである。時の流れにはすべて時代区分があり、現代将棋界では大山時代、中原時代、羽生時代、そして今や藤井時代だ。今年2月12日、藤井四冠は王将を獲得して五冠を達成した。これは五冠達成4人目で史上最年少という快挙である。時代を築いた他の三人もみな五冠となっている。本日は五冠達成2人目となった中原名人の話をしよう。
鳥取市鹿野町宮方(しかのちょうみやかた)に「将棋十六世名人 中原誠生誕の地」と刻まれた石碑がある。書は西尾邑次(ゆうじ)、昭和から平成にかけて4期務めた鳥取県知事である。
大山康晴十五世名人が岡山県出身だということは、加茂五葉と河内屋のCMを見て知っていたが、中原誠十六世名人の生誕地は知らなかった。なんとお隣さんではないか。石碑の裏面を読んでみよう。
棋歴
中原誠 昭和二十二年九月二日
宮方に生まれまもなく塩釜市に移る。三十二年高柳敏夫八段門に入る。三十六年初段、四十一年からは毎年昇給昇段し、四十五年八段、四十八年九段、四十三年二十歳で第十二期棋聖位獲得、四十六年には通算五期で永世棋聖、五十七年永世十段の称号を受ける。四十七年二十四歳で第三十一期名人位初獲得以来連続九期、五十一年には五期連続で十六世名人の資格を得る。以後数々のタイトルを獲得、五十三年には五冠王に輝く。六十年六月通算十期目の名人位奪還、現在に至る。
昭和六十年十一月建立
代表世話人 田中修
輝かしい経歴が記されている。名人・十段・王位・王将・棋聖での五冠達成は30歳5か月。藤井五冠(王将、竜王、王位・叡王・棋聖)は19歳6か月での達成だ。ちなみに十段は現在の竜王である。
タイトル数は現在8つ、中原時代は7つだった。うち最も歴史があるのが「名人」で、現在のタイトル保持者は渡辺明名人だが、通算5期保持すると「永世名人」の資格が与えられる。大山さんは十五世名人、中原さんは十六世名人、羽生さんは十九世名人であり、藤井さんもやがて名を連ねることになるのだろうか。
一世名人から十世名人までは家元制度における称号で、一世は徳川家康の指南役を務めた大橋宗桂(そうけい)である。現在十七世以降は現役の資格保持者であって襲位しているわけではない。したがって当代の永世名人は中原十六世名人のみである。
手元にある『昭和二万日の全記録』(講談社)を調べると、昭和47年(1972)6月8日、中原誠八段が大山康晴名人を破って、史上最年少の名人となったことが記録されている。付けられた見出しは「中原時代幕開け」、まさに新時代が始まった瞬間だった。
ちなみに名人位の最年少記録は現在、谷川浩司九段の21歳2か月である。これを藤井五冠が塗り替えるのではと囁かれている。今の藤井九段はあの頃の中原八段なのだ。故郷の瀬戸市は大いに盛り上がっているとのこと。
中原名人は生後二か月で鹿野町を離れたにもかかわらず、生誕地碑が建てられたり名誉町民(2004年)の称号が授与されたりと、地元を盛り上げている。本人に記憶はなくとも、どこで生まれたかは大きな意味を持つようだ。ここは将棋界にとって聖地の一つなのだろう。
中原八段が大山名人を破ったのと同じ頃、6月5日に国連人間環境会議が開かれた。会議のテーマはOnly One Earth、かけがえのない地球である。同月11日には『日本列島改造論』が発表されている。環境と開発を考える時代はここに始まった。今から50年前はどうやら時代の節目だったようだ。