「雨垂れ石を穿つ」というが、水の力には頭が下がる。あのポツポツとした水滴が、岩に穴をあけるというのだ。小さな努力の積み重ねが、大きな成果につながることを示す。私ごときにはなかなかできないが、少しでも水の力にあやかろうと、今回は甌穴をレポートする。アーカイブス「川底に開いた穴」「天然記念物となった川底の穴」も参照してほしい。
岡山県苫田郡鏡野町奥津川西に国指定名勝の「奥津渓」がある。
私が訪れたのは夏。水の流れる音が涼を誘い、変化に富む岩が目を楽しませてくれる、一級の景勝地である。渓谷に沿って道が付いているが、これは大正六年の開通である。以来、観光地として有名となり、昭和8年夏には与謝野晶子夫妻も訪れている。
江戸時代の道、倉吉往来は国道179号よりも東のルート、香々美新町から百乢を越えて、養野、福見を通過して奥津に着いた。それでも奥津渓の美しさは知られていたようで、『作陽誌』西作誌上巻苫西郡山川部富庄「奥津川附鮎回滝」には、次のように記されている。
大釣以下水程数十里之間三月至七八月鮎鱒多大釣湍魚不能登回旋而下故名鮎回滝其下四丁許有臼渕潭底有石形如臼因名
大釣から数十キロの川には3月から7、8月にかけてアユやマスが多く集まる。ところが大釣の急流を登ることができず引き返してしまう。ゆえに「鮎回滝」という。そこから四丁ばかりに「臼渕」がある。底の岩が臼の形をしていることにちなんで名付けられている。
さて、この歴史ある景勝地は現在、どのように評価されているのだろうか。鏡野町の説明板を読んでみよう。
奥津渓 Okutsu Valley
奥津温泉の下流約3kmにわたり流れる吉井川沿いの渓谷で、国の名勝地に指定されています。吉井川の源流と花崗岩が数十万年かけて自然が形造った臼渕の甌穴群は「東洋一」ともいわれ、春は新緑にコブシなどの花が咲き、夏は深緑と透明度抜群の清流、秋は真っ赤なカエデをはじめとした紅葉の絶景が広がり、冬の樹氷と雪景色など、四季を通じて素晴らしい渓谷美を楽しむことができます。
かがみの旅とくらし
健康のまち岡山県鏡野町 観光&移住総合サイト
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どのような点で「東洋一」なのか。東洋という地域区分があいまいなうえ、評価指標が明確でない。それでも「東洋一」には、そうなんだなと思わせる妙な説得力がある。旧奥津町が制作したと思われる説明板を読んでみよう。
天然記念物 奥津の甌穴群
吉井川の上流奥津川の水流が渦巻いて河底にあった石塊が数千万年の永い年月にわたって回転した結果、河床の花崗岩の接触部に凹を生じ、次第に穴になってその中に落ちた石塊が更に内部で渦を巻き穴が大きくなりできあがったものです。奥津の甌穴は秩父長瀞の甌穴や邪馬渓の猿飛の甌穴、木曽寝覚の床の甌穴と共に全国的に著明で、奥津温泉下手の笠ヶ滝から般若寺を経てこの地点まで延長3kmにわたって10数個の甌穴があります。この甌穴は古来より臼渕と呼ばれ、高い岩盤上にあるものは古代の河床が残ったことを示しています。
鏡野町
ここでは長瀞、耶馬渓、寝覚の床などと同じくらい有名だという。こちらも言ったもん勝ちではあるが、同等な具体例が列挙されているだけに分かりやすい。ところが2つの説明板で、甌穴の生成期間が「数十万年」と「数千万年」と大きく異なっている。
日本列島が大陸から離れたのが2千万年前とされるから、「数千万年」は言い過ぎだろう。甌穴の一部は、川底でなく道路と同じ高さにある。この高低差は隆起によって生じたものだが、同じ場所にあるから流路には変化がないのだろう。
悠久の河川とその景観を楽しむ私たち。それぞれの時の流れは大きく異なり、人生なんぞ、ほんの一瞬の出来事なのだろう。そんな短い間にも、コツコツやれば何かできるに違いない。私もあなたも大河の一滴なのだから。
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