今太閤といえば田中角栄元首相だが、菅義偉前首相も一瞬そのように呼ばれた。たたき上げの苦労人ながら位人臣を極めた二人である。「今太閤」とは現代の豊臣秀吉のこと。この「今」は、過去に対する今を意味する。
広島県に今高野山という霊場がある。和歌山県には平安の昔から今に至るまで真言密教の聖地として崇敬されている高野山があるから、今高野山の「今」は今現在のことではない。今の今高野山は紅葉が見ごろだという。さっそく行ってみよう。
広島県世羅郡世羅町大字甲山に「今高野山龍華寺」がある。写真左が観音堂で右が御影堂(大師堂)である。人影がないように見えるが、ベストシーズンのため多くの観光客で賑わい、結婚式の前撮りなのか、紅葉を背景に写真に納まる幸せな二人もいた。
この美しい建物は元禄十五年(1702)に広島藩浅野家第四代の綱長公により再建された。ちょうど分家筋が起こした元禄赤穂事件の対応に苦慮していた頃だ。
龍華寺に隣接して「丹生(たんじょう)神社」がある。国重文に指定された丹生(にう)明神と高野明神の木造坐像を祀っている。かつては神仏混淆の信仰形態だったようだ。一帯は「今高野山」として県の史跡に指定されている。説明板を読んでみよう。
今高野山(いまこうやさん)(県史跡 史跡:寺院)
一件 昭和二七年(一九五二)二月二二日指定
平安時代~ 世羅町大字甲山(今高野山龍華寺ほか)
平氏滅亡後の文治二年(一一八六)、後白河法皇の命により、大田庄は高野山根本大塔(和歌山県)の領地となった。以後、高野山を本家職とする庄園となる。源平合戦での戦死者供養のため、その財源を生み出す領地として寄進された。
このため、高野山は現地に、龍華寺及び金剛寺を中心とする十二院を荘務をつかさどる政所寺院として建立した。「今高野山」という名称には新しい高野山という意味がある。本山と同じ「高野山」と名が付くことから、全国の高野山の領地の中でも重要視されていたことがうかがえる。境内東にある塔の岡には、元亨三年(一三二三)、本家の高野山にある「根本大塔」を模して多宝塔型の仏塔が建立された。勢力隆盛であることを示す意味もあったという。
現在は、龍華寺、福智院、安楽院、丹生神社等を残すのみであるが、本尊の木造十一面観音像(国重文)をはじめ、数多くの文化財(絵画・彫刻・美術工芸品・建造物・石造物・天然記念物等)が先人の努力により伝えられている。
世羅町・世羅町教育委員会
今高野山は「新しい高野山」という意味であった。神戸駅に対する新神戸駅のようなものだろう。駅名に同じ地名を使用する場合、既存の駅よりも新しいという意味で「新」を冠するのである。その新神戸駅は今年開業50年を迎え、開業50周年記念弁当という1800円のお重が発売された。
本家の高野山も丹生都比売(にうつひめ)神社と神仏混淆、一体不可分の関係にあった。紀州高野山の信仰形態が備後今高野山でも再現されていることが分かる。本家の高野山は平成27年に開創1200年を祝った。そして今、今高野山は開基から1200年を迎えている。
参道入口に開基1200年をPRする幟が立っている。それには次のように染め抜かれている。
今高野山開基一二〇〇年
今高野山は弘法大師空海さんが大田庄に来られ
古城山甲岩で観音像をみつけられ密教の道場が開かれました
空海さんが旅に出ると、各地で奇瑞が生じる。ここでは岩から観音像が見つかったという。背後の山には今高野山城という山城があり、その本丸跡に「甲岩」がある。まさに今高野山濫觴の地である。
「この岩が甲岩(かぶといわ)と云う奇岩です。」という表示がある。正面の岩を甲の前立てと見て、左右の岩を含めて甲全体を表しているのだろうか。
この岩で空海さんが観音像を見つけられたのだという。その時のようすが説明板に記されている。読んでみよう。
弘仁13年、弘法大師が諸国をお巡りになる途中、行円庵(世羅町神崎編照寺)にお泊りになったときの事です。
その夜、どこからともなく観音経の文句が聞こえてくるので縁側に出てご覧になると、向こうの山の山頂から後光が射して、そこからお経の声が聞こえてくるではありませんか。
弘法大師は「きっと、御仏様の尊いお告げにちがいない」とお考えになり、翌朝その山に登りかけられますと、岩の上に高野明神がお立ちになっていて、「この地は佛教に適した神聖な地である。もし、あなたがお寺を建てられるなら、私は守護神となります」と言って姿を消されました。
弘法大師は有り難いことだと思われながら山頂に登ってみられると、そこには大きな岩の上に、一寸八分(約5.5cm)の黄金の観音様がありました。
弘法大師は、伏し拝まれ捧げ持って山を降りられると、行円庵主に頼んで寺を建立せられ、また自ら栴檀の木を切って十一面観音像を彫りあげると、その御頭の中に黄金の観音様を納められ、この寺のご本尊にされました。
編照寺は遍照寺の誤りである。甲岩で発見された黄金の観音様は、空海さんが彫りあげた十一面観音像の頭部に納められたという。今、十一面観音は国の重要文化財に指定されている。
弘仁13年は西暦では822年に当たる。仏教説話集『日本霊異記』もこの年に成立したと言われる。いろんな不可思議な出来事が起きていた時代だ。奇瑞により新しい高野山が開かれて1200年。年年歳歳、紅葉も相似たり。1200回目となる今年の錦秋はとりわけ美しい。