『ハルカの陶』という陶芸コミックがあり、映画化されて備前市は大いに盛り上がった。備前焼は私もいくつか持っているが、その素朴で飽きの来ない美しさが魅力だ。ルーツをたどると須恵器にさかのぼるそうだ。
「陶」も「須恵」も「すえ」と読み、陶器を意味する。岡山県には「すえ」という地名が三つあり、いずれも陶器の産地だった歴史をもつ。すなわち瀬戸内市長船町西須恵と長船町東須恵を遺称地とする邑久古窯跡群、浅口市金光町須恵の金光須恵古窯跡群、そして倉敷市玉島陶の玉島陶古窯跡群である。
本日訪れるのは玉島陶の窯跡だ。行ってみよう。
倉敷市玉島陶に「寒田瓦窯跡(さぶたがようせき)」がある。
地面にいきなり開いた穴。おむすびころりんすっとんとんか。いや、王様の耳はロバの耳だろうか。もしかすると星新一「おーい、でてこーい」かもしれない。説明板を読んでみよう。
倉敷市指定史跡 寒田瓦窯跡
飛鳥時代(七世紀)から平安時代(九世紀)にかけての瓦窯跡。全長八・五m、中央部幅一・八mの登り窯で、傾斜した床面には瓦を置くための階段状の施設が設けられている。
当窯跡は、この傾斜地に集中する三基のうちの一基で、その構造がほとんど完全な姿で残っているのは、この時期のもではきわめてまれである。
倉敷市教育委員会
とても千年以上も前の遺跡とは思えない。美しすぎる古窯跡である。しっかり焼き固められているから崩れないのだろうか。いやふつうは崩れるのだ。周辺にいくつか窯跡はあるのだが、ほとんどは崩壊している。完璧なのはここ寒田窯跡群3号窯跡だけなのだ。
寒田窯跡群は1~3号の瓦窯3基、4~7号の須恵器窯4基から成る。玉島陶古窯跡群の中では最も東に位置している。立地条件の第一は土質だろう。原料の粘土の入手が容易で、窯に適した土質であることだ。燃料の豊富さとともに、登り窯に適した山の傾斜も必要だろう。そして、製品を搬出する経路が確保されていることも欠かせない。
近くには北上して小田川に合流する真谷川が流れている。3号窯で焼かれた瓦は、吉備路のどの古代寺院を飾ったのだろうか。当時は珍しかった瓦屋根に、往来の人々は目を見張ったことだろう。
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