1日の平均アクセス数が150に達しました。これもみなさまのおかげと感謝し、今後いっそう精進してまいります。今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
何年か前に同僚の江原さんが「うちの先祖の城が美咲にある」と言っていた。ずっと前に同僚だった旧姓川西さんの女性は「うちの先祖の城は総社にある」と言っていた。板倉さんという子どもに「板倉といえば備中松山藩主と同じ名字だね」と言ったら「はい、うちは子孫です」と返ってきた。世が世なら頭の上がらない人ばかりだ。本日は江原さんちの城を訪ねることとしよう。
岡山県久米郡美咲町里に「江原城跡」がある。写真は「主郭(本丸)」で「標高344m」と表示されている。
吉井川畔の津山から旭川畔の西川を結ぶ国道429号は、かつて西川街道と呼ばれた主要道であった。西川は県道30号で落合・久世や岡山へ、県道49号(狭いが)で高梁と結ばれる要衝である。
この西川街道を押さえるのが江原城だ。街道側は急峻なので、北側から尾根伝いに登城するのがよい。この城を持っていた江原さんとは。どのような人物なのか。『久米郡誌』は『作陽誌』を基に、次のように記述している。
中山手城址
倭文西村大字中山手里
中山手城は江原城とも名付て居た。南麓より頂上まで二百間許、西北は七十間余、東方は百八十間の峻坂である。加ふるに周囲絶壁尤も険要の場所である。山上に井戸がある。旱天にも涸れない。永正の末江原和泉守佐次が倭文庄を領して初めて此に城いた。子又四郎久清、孫兵庫助親次が相継いで此処に居たが、後宇喜多秀家が大庭郡を加封したので親次は篠向城に移った。其後廃城となったのである。
現在の大字は単に「里」だが、かつては「中山手里」だった。そこで「中山手城」と呼んでいたらしい。江原氏三代の居城で、最も有名なのは江原兵庫助親次である。宇喜多秀家の与力として活躍し、久世のあたりで毛利氏と激しく戦ったようだ。
親次が真庭市三崎にある篠向城に移ったのは、秀家から美作の旭川流域を任せられたということか。かなりの実力者だったことがうかがえる。それだけではない。吉井川流域に睨みを利かすために、用意周到にも西川街道の難所に城を築いていたのだ。
その城に行く前に、美咲町の天然記念物に指定されている巨木があるというので立ち寄ってみよう。
久米郡美咲町北に「北の一本杉」がある。
これは迫力がある。アクセスしにくいものの、一見の価値は十分にあろう。『久米郡誌』には、次のように記述されている。
一本杉
倭文西村大字山手公文北字船越
正徳年間本村の人某小祠を建てゝ側に稚杉一株を植えたと伝へて居る。今は幹の周囲二丈余高さ十数丈、実に村内の一偉観である。一本杉の名は遠く聞えて居る。
正徳年間(1711~16)に植えられたということは、樹齢は三百年以上なのか。だが今日の物語は、それをさらに百年以上さかのぼらねばならない。
津山市油木北と久米郡美咲町北との境に「高山城跡」がある。木の標柱には「高山城址 四三三・五米」とある。
木々のために眺望はないが、国道の津山方面から見れば、いかにも高い山と言う山容を確認できる。吉井川流域に対する押さえの役割を果たしていたのであろう。『久米郡誌』では次のように説明されている。
江原城址
倭文中村大字油木北
江原城は高山城とも称へて居る。西北は倭文西村大字山手公文北に跨り高さ百九十間周囲千三百九十七間、頂上は東西十二間南北二十間である。天正年間江原兵庫助親次の城いたもので今は愛宕の神を祀れる小祠が遺って居る。
天正十二年(1584)に毛利氏との争いが収まり、天下は統一へと向かっていくが、秀吉は新たに朝鮮出兵という無謀な戦争を始める。『作陽誌』西作誌中巻久米郡北分寺院部の金龍山江原寺条には、次のように記されている。
文禄已後従黄門于朝鮮役両次慶長三年五月十七日患痢卒于釜山浦
文禄になって宇喜多秀家(黄門)に従って朝鮮に渡り、第二次出兵の慶長三年(1598)五月十七日にプサンで病没した。江原城の北にある金龍山江原寺には、親次の墓があるという。
美作の地を外敵から守ろうとした国人領主、江原親次。皮肉なことに朝鮮にとっての外敵となって異国に没することとなった。対外戦争は人の運命を変えてしまうが、それは地位の上下で異なることがないのである。
追記(2022.2.27)
美咲町里の金龍山江原寺に「江原親次之墓」がある。親次の遺命を受けた家臣によってこの地に葬られた。
美咲町西川から県道374号で江原寺を目指す。次第に標高が高くなり、日陰には麓にはなかった残雪が見られる。ところどころ道幅が狭く、離合困難だと思われたが幸い対向車はなかった。平和なドライブ…。
先に「対外戦争は人の運命を変えてしまう」と書いたが、まさに今、ロシア軍のウクライナ侵攻の真っ最中である。首都キエフの高層ビルにミサイルが着弾する映像が流れている。人にとっても国にとっても、あるいは歴史にとっても、運命の岐路に立っているのかもしれない。