租借とは何だろうか。借りるのだから自分のものではない。相手から返せと言われることがある。しかし永久租借であれば、永遠に返さなくてもよい。「パナマ運河地帯」がそうだった。アメリカはこの地に総督を置いて支配していたが、カーター大統領の英断によりパナマに返還したのである。
それをトランプ大統領が取り戻そうというから話題になっているが、単に帝国主義的な野望ではなく、「運河は中国にではなくパナマに与えたのだ」というのが真意だろう。パナマが巨大経済圏構想「一帯一路」から離脱する方針を表明したのも、トランプ氏の思惑通りだ。
本日はパナマ運河に先立って建設された日本最古の閘門式運河の紹介である。
岡山市東区吉井に「倉安川吉井水門」がある。
写真は上から二の水門、その先の揚水水車群、水車側から見た二の水門、取水口となる一の水門である。水位の異なる河川を船が円滑に移動するための水位調製施設で、閘門という。日本最古の閘門式運河なら「世界最古の閘門式運河!?」で玉島の高瀬通しを紹介したことがある。倉安川はどうなのだろう。まずは県指定史跡の説明板を読んでみよう。
岡山県指定史跡 倉安川吉井水門
昭和34年3月27日指定
倉安川は倉田・倉益・倉富の三新田の灌漑と吉井川・旭川間の連絡のため、岡山藩主池田光政が津田永忠に命じてつくらせた延長約20kmに及ぶ水路です。延宝7年(1679)2月に起工、同年中に完成しています。
吉井水門は、吉井川からの取水口にあたります。吉井川の堤防に築かれた「一の水門」と、倉安川側の「二の水門」、その間の「高瀬廻し」と呼ばれる船だまりからなり、二つの水門によって水位差の調節を行い通船する閘門式の水門です。また、船だまりは、出水時の船の待避や検問に使われました。
昭和48年からの坂根堰改修に伴い、水門としては使われていませんが、石垣や水門などの構造は当時のまま残されています。
平成18年3月
岡山市教育委員会
完成したのは延宝七年(1679)で、十月十九日には江戸より帰国する前藩主池田光政が、舟で坂根村から倉安川経由により岡山城へ帰ったという記録があるそうだ。倉安川の開削は岡山藩を挙げての一大事業であり、物流と利水の両面で大きな効果があった。特に、今も美しい田園が広がる倉田新田や沖新田の開発には、百間川と共に倉安川が運ぶ水が欠かせなかった。
こうした歴史的価値が評価され、World Heritage Irrigation Structuresに登録された。ただし、有名なWorld Heritage Siteではない。イリゲーション、つまり灌漑に特化した顕彰制度である。インドに本部がある国際かんがい排水委員会が所管している。説明板を読んでみよう。
世界かんがい施設遺産
「倉安川・百間川かんがい排水施設群」
倉安川吉井水門(令和元年九月四日登録)
江戸時代初期、人口増加による食料難や度重なる凶作への対処が急務となった岡山藩では、児島湾一帯の大規模な新田開発計画を樹てた。(1657年)倉安川は、降雨量が少なくかんがい施設に依存せざるを得ない岡山平野において、東の吉井川と西の旭川とを結ぶという、流域を超えて「水を活かす」画期的な用水路であった。(1679年完成)
また、百間川は、旭川の洪水を防ぐとともに、河口に独創的な遊水池と石樋(排水樋門)を組み合わせた、「水を制する」最先端の基幹的排水施設であった。こうして、倉安川と百間川は、一体となって倉田新田・沖新田という2200haを超える大規模干拓を実現し、「豊穣の大地」を生み出し、食糧増産による地域農業の発展と自立的農家の育成等に極めて大きな役割を果たした。(1687年概成)
また、その取水口である倉安川吉井水門は、堅牢な花こう岩で築かれた現存する我が国最古の「閘門式水門」であり、「岡山県指定史跡」でもある。そして、倉安川は運河としての役割も果たした。(1679年完成)
これらの施設群は、食料生産力の向上と農村の発展さらには農民の生活の安定に大きく寄与し、高い構想力と先端的技術等は全国の同種施設築造に、理論と実践両面で大きな影響を与えた。こうした施設群は、岡山が全国にそして世界に誇るべき歴史的・文化的遺産であり、令和元年9月4日(2019年)国際かんがい排水委員会(ICID)によって、世界かんがい施設遺産として認定・登録された。令和元年は倉安川が開削されて、ちょうど340年目に該る。
倉安川・百間川世界かんがい施設遺産委員会 吉井町内会 岡山市
日本最古だという。吉井水門(岡山)の倉安川と一の口水門(倉敷)の高瀬通し。どちらも完成は延宝年間である。人口急増のこの時代、新田開発は急務であり、岡山藩も備中松山藩も干拓事業を推進していた。「倉田新田・沖新田という2200haを超える大規模干拓」を成功に導いたのは、灌漑施設の整備に他ならない。世界的な評価を受けた先人の努力に、心から敬意を表したい。
また、吉井川と高梁川。どちらも高瀬舟による水運がさかんであった。現代の道路建設が物流の利便性を向上させているように、備前の二大河川を結ぶ運河の開削は、流通拡大に貢献したはずだ。
そして、水位を調整する閘門のしくみ、それを支える堅牢な石垣。日本の誇る高い技術力が遺憾なく発揮されている。灌漑、運河、技術力。これらが一体となって地域を支えたからこそ、Heritageとしての価値が認められたのだろう。